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看取り...

私たち夫婦の願いは自宅で最期を迎えたい。
介護の経験もない私にとっては探り探りで、想像以上に自分の体力も消耗し精神的にも大変でした。でも最期の最期まで寄り添うことができたことは本当に良かったと思っています。

夫はBRAF遺伝子陽性で抗がん剤が効きにくいがんでした。直腸がん、肝転移発覚後、直腸、肝臓の腫瘍を、見えるものは全て切除できたものの、ゼロックス療法終了後の半年後には再発、転移。抗がん剤はことごとく効かず、幸い治験にも参加出来ましたが効果はなく緩和ケアへ。その後あっという間に空へ旅立ってしまった最期の記録です。



以下抗がん剤をやめてからの経過です。

※見る人によっては不快な内容になりますので自己責任でお願いします。そしてあくまで夫の場合ですので、同じがんの人が同じ経過を辿る訳ではありません。



6月下旬
治験も効かず最後のスチバーガを残すのみになった時、仕事が出来ないほどの副作用なら、もう抗がん剤治療はここまでにして、残りの時間を有意義に使おう!
それが私たちの選んだ選択でした。
しかし抗がん剤をやめて1週間ほどすると、腹痛が増え、車の振動に冷や汗が出るほどに…


7月上旬
みるみるお腹が膨れてくる。
吐き気、嘔吐、腹痛が増え食欲減退。腹膜播種の増悪、腹水が急にたまり始める。今までの下着が苦しくて履けなくなるほど。身体が一気に疲れやすくなり、日によって波があり、動ける日動けない日が極端にわかれる。
午前中動けるからと無理をすると午後は寝たきりになる日が続く。


7月中旬
倦怠感で休みがちになっていた仕事を完全に休職する。倦怠感とめまいとお腹の張りが辛い。外来で腹水を抜くことも出来ると勧められたが、抜いてもまたすぐ溜まることを考え一旦保留に。


7月下旬
横になる時間が増える。一日の使える体力が朝の犬の散歩10分程が限界。立っているのがつらい、お腹が張って苦しい、倦怠感、吐き気、嘔吐、めまい。日によってはひと口飲んだり食べたりしただけでも連続で嘔吐。食欲は減る一方、高カロリー飲料や高カロリーゼリーなどを利用し始める。


8月1.2週
下血が始まる、頻繁にトイレを行き来。血便ではなくトイレで鮮血だけがお尻から尿のようにでる。下着にパッドをつけ対処するも毎回トイレが真っ赤なことに精神的に落ち込む(痛みは無い)止血剤等で様子を見るも変わらない。まだ身の回りの事はなんとかできる。あくまで今は緩和ケア。ここで原因を追求するための内視鏡などはむしろ身体に負担がかかるだけなので、行わない意向を告げられる。


8月3週
車の助手席に座るのもしんどい、病院へいくのが辛くなり、急遽訪問診療に切り替わる。介護認定調査を受け、介護ベッドをレンタル。本人はまだ寝たきりでもないのにいらないよ...と納得いかず。ここで食欲減退とともにパンパンだったお腹がへこみ始める。
倦怠感がとにかくひどい。横になっていても下血でほとんど眠れない日が続く、情緒不安定になりはじめる。


8月4週
強い倦怠感続く。介護保険で車椅子、手すり、ベッド横にポータブルトイレ設置。週の前半にはなんとか行けていた自宅のトイレまでも後半には行けなくなり、手すりがないと足元がふらつくように。万が一に備えオムツを使用するもオムツに用を足せない。昼夜関係なしに15分おきくらいに嘔吐、トイレで下血を繰り返す。眠れない日は続き、ベッドの上か車椅子生活。この週の体調の悪化、衰弱が著しい。
声がかすれ、せん妄が目立ち始める。眠れないことも重なりうつ症状も強めに出る。頭はしっかりしていて歩けなくなることへの不安、死への恐怖で泣くことが増える。常に便意と尿意がとまらずトイレを行き来するもなにも出ない。この時入院を勧められるも、生きて帰って来れなくなる不安から夫婦で泣きながら断る。


8月5週
しゃっくりが全くとまらなくなる。その勢いで嘔吐も繰り返す。腹膜播種による軽い腸閉塞との診断、鼻から胃管チューブ、お腹に吐き気止めの皮下注射、尿道カテーテル、モルヒネの座薬。薬を何度も変えてもらうも効果がなかったが、これで全ての症状が一旦落ち着く。
約1ヶ月ぶりにやっとぐっすり眠ることができた。


亡くなる2日前
体調が落ち着いたら今度は一気に寝てる時間が増えた。移管チューブのせいで水分を飲んでも排出されてしまうため喉が異常に乾く。口の中を湿らす程度の水分と氷、ガリガリくんや炭酸ジュースを製氷機で凍らせたものを食べて回避。寝起きはせん妄が目立つが、それ以外は会話はゆっくりならなんとかできる。


亡くなる前日
水分補給以外、ほとんど寝ている。まだ会話はできる。眠ると喉がゴロゴロと死前喘鳴の症状がではじめる。血圧、血中酸素、脈拍など毎日計測を続けていたが、計測不能になってくる。


亡くなる当日
夕方までよく眠る。
時間とともに寝息が深呼吸をするような深い呼吸に変わり、夜になるにつれて呼吸と呼吸の間が長くあくようになる。
その後肩で呼吸する感じにかわり、数分後には下顎呼吸がはじまり訪看さんに連絡。
もって明日の朝ぐらいだと言われるも、電話をきって数分で最後の深呼吸をして呼吸が止まる。

永眠



パンパンのお腹はこの時ほとんど目立たなくなっていた。腹水は栄養でもあるので食欲減退してからは、飲めず食べれずでも腹水が栄養になっていたそう。むくみでパンパンになることもなかった。むやみに抜かなくて様子を見ていて良かったのかも。

結局痛みはフェントステープ0.5mgと1日1本使うか使わないかのオキノーム2.5mgのみしか使わなかった。最後の方に使ったアンペック座薬(モルヒネ)も痛みではなく、落ち着かせるため。

ちなみにがんが発覚してから最後の血液検査まで、腫瘍マーカーはほぼ基準値か多少上がる程度で全くあてにならなかった。

それと看取る側の気持ちとして、やはり余命は聞いておきたかったなという後悔。夫は余命は諦めるみたいで聞きたくないとずっと言っていたけど、自分でも予測できないスピードで動けなくなることは怖かったと思うし、なんの準備も出来ないまま逝ってしまった。
それが夫にとって良かったのか悪かったのかは分からないけど、数ヶ月前にでも余命を聞けていれば、後回しにしなかったことがたくさんあったんじゃないかと。
でも夫の性格だと余命を知っていたら、それこそ頑張る気力すら奪っていたかもしれない...
なにが正解だったかはもう分からないけど、せめて私だけは聞いておくべきだったな。そうすればもう少し早く私も休職して一緒の時間を過ごせたのに...と。

ポジティブの塊のような人でいつも私は助けてもらった。今まで私の前で泣いたことなどなかったのに、手で顔を覆って声を上げて泣く夫に、私は何も気の利いた事がいえず、寄り添って泣くしかなかった。後悔はしないように心に決めて支えてきたけど、もっと何か言えたんじゃないかとか、何か出来たんじゃないかとか、やっぱりどうしたって後悔はするんだよな…

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