見出し画像

本当の終戦記念日はいつ?実は8月15日を過ぎても日本を守るために戦っていた占守島の戦い

本当の終戦記念日がいつか知らないのは日本人だけ? 

日本では一般的に終戦記念日といえば、8月15日です。

毎年、ニュースでは8月15日なれば終戦から○年と耳にすることでしょう。ですが、世界の認識としては9月が終戦記念日だと考えられています。

8月15日は、日本の降伏が国民に公表された日であり、ここで戦争は終了したのだという認識なのでその日が終戦記念日だと思っている人が多いです。

しかし「玉音放送」があったのは15日ですが、世界ではこの日を終戦の日としていないのをご存知でしょうか?

8月15日の2日後である8月17日に、日本を守るために占守島で戦いが行われていました。

それは、日本の北東端にある占守島にソ連軍が不法侵攻してきたことに対して、日本軍が戦ったのです。

▼占守島の位置

無題

この事実は、現在で言うところの北方領土問題につながっています。

8月17日に何が起きたのか 

時間的には、8月17日の深夜に戦いが起きました。

元々、日本とソ連は中立条約を締結していましたが、ソ連が8月9日に一方的に破棄し、8月17日の深夜に占守島を日本から奪い取ろうと不法侵攻をしたのです。

当時占守島には、約8,000人の日本陸海軍将兵がいたとされており、ソ連軍は 8,000人を超える人数の兵士がいたとされております。

人数的にはソ連が優勢ではありますが、結果として日本軍は800人ほどの死者に対し、ソ連軍は2,300人を超える死者だったそうです。

これらの人数については諸説ありますが、占守島はソ連軍が上陸できる砂浜が1つしかなく、日本軍にとって予測がつきやすくて攻撃しやすかったことや天候が悪くソ連軍は思うように航空兵力に援護をしてもらえなかったことが、ソ連側に多くの死者が出た要因とも言われています。

しかしその後の 8月21日に、日本軍団長が降伏を定めた文書に署名し、停戦が成立したのち、9月2日にはソ連占領下となりました。

この占守島の戦いについては、教科書に載っているわけでもなく、終戦記念日は日本では8月15日だと大々的に銘打っているので、戦争を知らない私たち世代にとっては、8月15日が終戦記念日という認識が強いです。

ですが、実際には8月15日を過ぎても戦っている日本人はいた、という事実は忘れてはならないと思います。

そして、日本は敗戦した国というイメージが強く残っていますが、占守島の戦いのように日本を守り抜けた戦いがあった、ということも決して忘れてはなりません。

占守島の戦いを踏まえた本当の終戦記念日はいつか 

本来の意味での終戦は降伏文書に調印した日です。

時系列を追ってご説明すると、このような流れがありました。

【8月10日】
天皇陛下が、御前会議で連合国による「ポツダム宣言」の受諾を決断した日。
【8月14日】
天皇陛下が終戦の詔書に署名し、連合国に正式に「ポツダム宣言」受諾を通告した日。
【8月15日】
天皇陛下が事前に録音した終戦の詔書を、「玉音放送」という形で、日本国民と大日本帝国軍人に向けて、ラジオで放送された日。
【8月16日】
大本営が全軍に休戦命令を出した日。
【9月2日】
東京湾上に浮かぶアメリカ戦艦ミズーリ号で降伏調印式が行われ、日本政府代表の外相・重光葵(しげみつまもる)らが降伏文書に署名し、天皇陛下による降伏詔書が発表された日(国際法上、戦争が終結した日)。この降伏文書には、日本のほかに、アメリカ、イギリス、ソ連といった各国の代表が署名している。

天皇陛下を大切に想う日本国民にとっては、玉音放送があった15日が終戦の日ということになります。

国際法上の戦争が終結した日は、9月2日になります。

中国の終戦の日は9月3日 

現在の中国である中華人民共和国の成立は1949年です。

終戦は1945年なので、中国を戦勝国とするには無理があります。

中国は2014年に、9月2日の翌日を独自の対日戦勝記念日と制定し、 「日本の侵略に対する中国人民の抗戦勝利の日」と決定しました。

2015年には、軍事パレードなど派手な戦勝記念日行事を催し、既成事実化を図っています。

ロシアは終戦の日を修正している 

 ロシア下院は2020年4月14日、第2次世界大戦終結の日を9月2日から9月3日に変更する改正法案を可決しました。

対日戦勝記念日を 9月3日に定めている中国と足並みを揃えている思惑も指摘されております。

また、北方領土の占拠を正当化する狙いがある可能性もあります。

先の大戦で必死に戦ってくれた先人たちのためにも、また、この先を生きる子供たちのためにも、動向を把握していく必要がありますね。

占守島の戦いを忘れてはならない

8月15日の降伏宣言の後、日本は戦争から解放されたと思っていた人は多いと思います。

ですが実際は、8月17日の深夜からも日本軍は日本を守るために戦っていました。

結果として、ロシアに占領されていますが、戦いの事実を忘れてはいけません。

この記事のアイキャッチ画像にもなっている北海道神宮。

神社の社殿は、北方領土(占守島)の方を向いているとも言われております。

この占守島の戦い、教科書には載っていませんが絶対に忘れてはならないものだと思います。

またオフィシャルサイトでも、樋口喜一郎氏の話も交えて詳しく解説していきますね。


※今回の記事では、検索にひっかかるためにあえて「終戦記念日」という言葉で明記してありますが、本来は「終戦の日」であり「記念日」なんかと呼ぶのは先の大戦で亡くなられた方に失礼だと感じております。表記について、記事の内容を知って欲しくて「終戦記念日」と書きましたこと、ご了承いただけますと幸いです。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?