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【俺を早く死刑にしろ!】自殺の手段として死刑を求める主人公について【コラム】

ごきげんよう。雨宮はなです。
前回の記事ではあまり映画の感想や考察を展開できなかったため、改めて記事を投稿します。

※すでに公開済みの作品のため、この後はネタバレアリで進みます。

死刑になりたい人間への印象

主人公は「死にたいから死刑にしてほしくて、その要件達成のために複数人を殺した」という設定です。
先日、現実でも「死刑にしてほしいから」という理由で全く赤の他人である母娘を殺した少女がいました。
その事件を知ったときの個人の感想は
「自分で死ぬ勇気もない人間が、どこからか借りたセリフでカッコつけてよそ様に迷惑をかけているなあ」
くらいのものでした。

殺人の本当の目的は

ですが、この作品を観て「主人公も殺人犯少女も目的は別にあったんだな」と思うようになりました。
それというのも、本当に自殺が目的だったらわざわざ殺人をする必要がないのです。
本当に死にたい人間はそれがわかっています。
なぜ、他人を殺すのか。
他人を殺すのは彼らにとってサインか手段でしかありません。

殺人犯少女でいえば、外部情報に言葉を借りたサインというだけで、彼女が発しているメッセージは別にあると考えられます。
「母を殺す準備」ではなく、「母に自分をみて欲しいから」。
「死刑にしてほしかった」ではなく、「死なないでと言って欲しいから」。
専門家が時間をかけて診療すれば彼女の環境と精神状態と本当の目的がわかることでしょう。

それと同じように考えれば、この作品の主人公もまた本当の目的があったとすぐに想像がつきます。
では、主人公の目的は何だったのか?

「母のいうことをきく」ことだったのではないか?

「できそこない」「死んじまえ」と暴言を浴びていた幼いころの主人公。
子供ですから、人間の本能として生きるために親に好かれようと必死です。
身体が大きくなり、年齢的に大人として扱われても、脳と精神は成長できないまま。
主人公はまだ子供なのです。

子供が生きるためには、親に好かれようとする。
自分が所属する最初のコミュニティに残れるかどうか。
生きる術を確保できるかどうか。
「自分」を認知されるかどうか。
子供にとっては非常に重要なことです。

そのため、彼は母親に言われた「死んじまえ」をかなえる必要があったのです。
母親が生きているかどうかは重要ではありません。
彼の記憶の中に存在する、当時の母親からのリクエストをかなえる必要が彼にはあったのです。
彼が最初のコミュニティに所属するという目的を達成するために。
私は、そのように考えました。

おわりに

今回の投稿は、一番振れやすい主人公と、物語の導入である「死刑になるための殺人」についてでした。

この主人公のような人はすでにたくさんいるし、今後増加する傾向にあると私は考えています。
現実でも映画でも、狙われたのは「全くの他人」で「抵抗できないと判断されるタイプ」でした。
海外の事情は知りませんが、今後の日本人女性は性的加害だけでなく命の危険にさらに近く生活することになるでしょう。
そんな将来のために何ができるか。

映画中に殺された姉妹のように、「なるべく笑って生きていられるように」整えてしまわないことです。
私が思うに、あの姉妹は最初から死んでいたのです。人としては。そのうち、この件も投稿するかもしれません。

最後まで読んでくれてありがとうございます。
ではまた次の記事で。ごきげんよう。

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