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『最後の決闘裁判』で語る(第三回:多方面からの性暴力)

ごきげんよう。雨宮はなです。
前回のおわりに「非科学的な性知識」について語ると告知したのですが、書いているうちに「私が注目したのはそこだけじゃないし、掘り下げるほどの情報を持っていないな」と気づいたのでタイトルを変更しました。
今回は「多方面からの性暴力」だと感じたシーンについて語ります。

他人を馬鹿にする表現や否定・批判が多いので、気になさる・お嫌いな方は飛ばした方がよろしいでしょう。
正しいか否かは別として、今回も思うままに感想を綴ります。
※ここから先はネタバレを含みますので、ご了承いただける方のみ読み進めてください。

”子種と快楽を与える男性様”という認識

過度なフェミニズム精神を持っていると思われても仕方ないかもしれませんが、そのように受け取れるシーンが複数ありました。

1.初夜(その後、夫からの日常的な強姦)
2.不妊診療
3.裁判

この3つのシーンをリードするのが男性であることからもわかるとおり、女性は置いてきぼりになっているうえ、男性には不利な情報が出てこない仕組みになっていました。
情報は学問的知識だけでなく、状況証拠になりうる発言等を含めたものです。「男性には不利な情報が出てこない」のは何故なのか。私は未発達な学問とマルグリットのいた社会によるところが大きいと考えました。

学問が未発達なのは仕方のないことですが「知識人たちが持つ情報は確実だ」というスタンスのため、とんでも理論を大真面目な顔して発言されたときには鼻で笑ってしまいました。AVにあることがセックスそのものだと勘違いしている現代男性と、ほとんど何も変わらないではないかと。こんなアホな理論で裁かれてしまうのはたしかにごめんです。

また、結婚が個人ではなく政略的な手段である時代と立場だったことから、マルグリットの言動は常に制限されていたことがよくわかります。夫の立場やメンツを守るのが最優先事項とされる社会では、マルグリットが自己弁護をすることすら困難だったのです。

夫からの日常的な強姦

まずは初夜。ベッドシーンといえるような甘いものではなく、そもそも夫から強姦されているようなものだと感じられるシーンでした。毎晩でないにしても、子供を設けるためにこれを繰り返すのか…と観ているだけでうんざりしました。
うんざりしていると、とんでもないセリフが聞こえてきました。

「十分快楽を感じたか?(えぇ、もちろんと苦痛を耐えながらマルグリットが返す)これだけの快楽を与えられるのは俺くらいのものだ。もう今夜にでも子供ができたかもしれないぞ」

ちょっとまって。
え?何を言ってるの?こいつ。

快楽を覚えているのはあなただけです。そんでもって、快楽=受精にはならないです。快楽=受精なら、貴方は絶対に子供をつくれないです。
ってゆーか、お前のような男は本来、金を払わないと相手にしてもらえないぞへたくそ野郎、母親の腹の中から出直してこい。

…と言いたくなりました。当時として宗教的なものもあったのでしょうがセックスが”こどもをつくるためのもの”だったのは、コミュニケーションの手法とできるほど知識やマナーが成熟しておらず、苦痛を伴う作業でしかないことが一因だったのではないかと考えました。あんなコミュニケーション、女性からしたら一度だってごめんです。妊娠のためでもごめんです。

不妊診療での精神的強姦

なかなか妊娠できないマルグリットは不妊を解決しようとかかった医者(老人男性)の診療を受けます。そこでまたとんでもない会話が繰り広げられました。おおよそ、下記の内容です。

医者「旦那様との行為で快楽を得られていますか?」
マル「え、えぇ、もちろん」
医者「…本当に?」
マル「はい。…あの、でも俗にいう頂点に達したかは自信がありません」

医者に悪気はなさそうでした。むしろマルグリットを気遣うような表情ではありましたし、「快楽とは程遠い」ことを察していたように感じられます。
ですが、その時代ではどうしても女性側にのみ原因があると考えられる思考(そこからくる学問)の基盤。医者にはそれ以上どうしようもできないのは明らかでした。

自分に原因があるとされることも、診察という名目で自分の性生活を他人に話さなければならないことも、夫の顔を立てなければならないがために事実を言えず解決にならないこともマルグリットを苦しめたことでしょう。マルグリットだけでなく、当時の女性は全員苦しんだのでしょう。

裁判という名の公開セカンドレイプ

極め付きが裁判のシーンです。
これはただのセカンドレイプでしかなく、性暴力加害者がカルージュとル・グリどころか、とんでもない数いたことが発覚します。

「快楽によって子が成される」
「いままで夫とは子が成されなかった、つまり快楽を得ていなかった。ところが強姦後すぐに妊娠した。つまり、ル・グリに快楽を感じていたということは強姦とは言えないのではないか」

ニヤニヤした老人(男性ばかり)からそんな言葉ばかりなげかけられ、あくまでも「強姦されたと騒いで注目を集めたかっただけ」に執着させようという魂胆が見え見えの、裁判というにはお粗末なものが展開されます。まるで「女は黙ってろ」と言わんばかりの攻撃で、裁く対象がル・グリではなくマルグリットに入れ替わってしまっていることに気づきました。彼女が受ける屈辱はスクリーンを通り抜け、客席にいる女性たちにも感じられるものでした。

現代ほど医学も科学も発達していなかったとはいえ、とんでもなく見当違いで頓珍漢な当時の”知識者”たち。現代に生まれて良かったと思える理由のひとつがまた増えました。

さいごに

映画を通して当時と現代を比べると、それでも少しは進歩していますが…。今回のテーマにおいて、今も昔も実はそんなに大して変わらないなぁと感じてしまう部分が多くありました。
特に裁判のシーンは少なからず法律を勉強した身として許せないものがいくつも重なっていて、心境はなかなか荒れていました。

次回は第4回として「マルグリットによるバタフライ・エフェクト」のお話をします。おそらく最終回になると思われます。

最後まで読んでくれてありがとうございます。
ではまた次の記事で。ごきげんよう。

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