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『アウシュヴィッツ・レポート』のレポート

ごきげんよう。雨宮はなです。
公式ツイッターが行っていたキャンペーンで赤・白ワインのセットをいただきました。だからというわけではありませんが、ちゃんと劇場で鑑賞させていただきました!

『アウシュヴィッツ・レポート』

まさか、またか、「実話に基づく」物語

最近この手の作品を鑑賞する機会が増えた気がします。そこまで珍しくはなかったかもしれませんが、間違いなく近年増加の傾向にあるといえるジャンルのひとつでしょう(他は例えば、「実写化」「続編」あたりです)。今作は戦時中の物語ということもあり、非常に暗くてハードな内容でした。

「アウシュヴィッツ」と聞いて思いつくのはいかにも、ユダヤ人虐殺でしょう。ほかには「アンネ・フランク」「ガス室」、映画好きなら「ライフ・イズ・ビューティフル」と続くかもしれません。同じ強制収容所が舞台の物語として。そしてだいたい、そこでの非道な仕打ちを受けながらも懸命に生きる人たちの姿を思い描く人が多いのではないでしょうか。

でもこれは、さらにそこから分岐させたお話。強制収容所も描きながら、ナチスの人間も描きながら、強制収容所から脱走した若者二人を追います。収容所で未だひどい扱いを受けたり殺されたりしている仲間たちの期待を背負って彼らが目指したのは、「収容所を爆撃させ、終わらせること」でした。

『シンドラーのリスト』や『杉原千畝』とは違い、収容されたユダヤ人たちは生きて助かろうとしていなかったということに衝撃を受けました。ただ、殺されるのではなく尊厳をもって死にたい。彼らも巻き添えにして。全員がそう思っていないにしても、そんな考えに行き着いてしまうのだということが衝撃だし、とても悲しくなりました。

ふたりというのは必須項目だった

逃げる、隠れるといった行動をとるさいに人数の多さは、そのままリスクの高さであるといえます。追いつかれる、見つかる可能性が少なくとも人数分に増えるのです。ただ、リスクヘッジであるともいえます。ひとりがダメになっても他がいるのです。私はそのように考えていました。

みつかって片方がつかまりそう?
なら、もう一人は隠れてろ。そして走り切れ。
片方が病気だかけがで動けなくなった?
もう一人は健康か?動けるのか?なら問題ない。
問題はただひとつ、もう替えが利かないってことだ。

そういう風に考えていたのです。
特に普段目にしているのはほとんど虚構の世界。たまにドキュメンタリーや実話に基づく作品も見るけれど、言ってしまえば「いるはずのない人間」「死んでも悲しまれたりリスクにならない命」ばかり見つめているせいか、どうしてもそのような考えになってしまうのでした。

ですが、これは違いました。実話に基づくからとか、そんなことではなくて。最小単位が「ふたり(一組」」なのでした。どちらかのミスをもう片方がカバーしながら絶対にひとりにしない、ひとりになることはない。
恐怖のあまり飛び出していきそうになる片方の口を手で覆い、体を抑え込み「耐えろ」と示す。ケガをした片方に自分の靴を与え、ダメージを分散させる。気丈にやってきた自分が倒れたときに助けたのは、今まで自分が助けてきた片方だった。

これが相互理解ってものだ、助け合いってものだなあと感じながら観ていました。人にはそれぞれ役割があって、それにもタイミングがあって、彼らはきちんと自分の役割を自分のタイミングで全うしていました。観ていただければわかります、「ふたり(一組)」が最小単位なのです。

数字で描く、ユダヤ人

町の中で迫害を受けるユダヤ人を描くわけではないので、ユダヤ人の描き方がいつもと違う気がしました。ダビデの星は出てこない。縞模様の囚人服はあるけれど、それよりも英語のアクセントやセリフに出てくる数字の多さにユダヤ人らしさが表れていました。

死んだ人数、異変の起こった日付、届いた物資の数…。
何かにつけて細かくくどいくらいに数字を強調したセリフ回し、事細かに様子を覚えていえることがわかる詳細な説明のセリフに「数字に強く、頭の良いユダヤ人」というイメージをみました。

到着してからがスタート…

今までの映画作品であれば主人公ともうひとりの逃走劇で映画は終わったことでしょう。最後にひっそりと字幕が出てきて、その後の説明をして終わる。「あぁ、すごい迫力だったね」「最後の字幕で私、ドキッとしちゃった」なんて感想をいいあうきっかけになる程度の情報が出て、おしまい。

でも、安全圏にたどり着いただけでは『アウシュヴィッツ・レポート』というタイトルはつけられません。赤十字のお偉いさんに会う前に資料と記憶をもとに書き上げたレポート、それが収容所にとらわれた人たちの願いをかなえてくれると信じて。
ただ、そのレポートが二つ返事で受け取られるということはありません。

ふたりを散々待たせてやっと到着した例のお偉いさんは、自分の知人が悪人だということを認めたくないがために、なんとか「気のせいだ」「勘違いだ」で切り抜けようとみっともなくもがきます。それも持ち前の記憶力の良さと数字と理詰めで追い込んでいくふたり。
このやり取りのシーンが思っていた以上に長く、逃走中とはまた別の緊張感に包まれていて思わず呼吸音さえたてないようにして見入ってしまいます。

結局、彼らの願いはかなわず強制収容所が爆破されることはありませんでした。囚人たちは助けられ、ナチス兵たちは捕まり、この作品は終わりを迎えます。

葛藤、ならぬ、葛闘

自分がつらい環境にいるのを終わらせるために、告発してしまおうか。
足のケガもひどいし、体もしんどいし、自分たちだけ逃げてしまおうか。
誰も自分たちを助ける気なんてない、諦めてしまおうか。

そんな、様々な葛藤が見受けられるシーンが作品のあちこちにあります。ユダヤのかれらだけでなく、それこそ、赤十字のお偉いさんも「彼らを信じるのか、知人を信じるのか」「自分が悪人たちと付き合っていたことを認めるのか、否か」を葛藤しています。
内なる自分との闘いであるそれは、もはや「葛闘」とでもいうべきものでしょう。スクリーンを眺めているだけでもずいぶんとしんどそうな闘いなのだから、実際にそれに身を置いていた彼らの辛さは想像できるはずもありません。

おわりに

冒頭にも話題にしたとおり、この作品の公式ツイッターが開催していたキャンペーンに参加し、ありがたいことに当選しました!

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ワインボトルも移したかったのですが、照りかえりに部屋と私が映り込んでしまっていたので、ご容赦ください。

ミニボトルで消費しやすく、味も飲みやすいものでおいしくいただきました(ストレートと炭酸割で)!友人との食事会(in友人宅)へのお土産に流用させていただき、映画談議に花を咲かせました。
友人はこの作品を観ていなかったので、この作品を語れなかったのだけ心残りですが…。

最後まで読んでいただき、ありがとうございます。
また次の記事もよろしくお願いします。ごきげんよう。

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