見出し画像

一流を知る❗

 1988年5月、私は東京で調理と飲食店経営の修行を終えて、板橋のマンションを引き払って帰省しました。
 鉄は熱いうちに打とうと、早速近くの空き物件を見てまわりました。エリアや広さ、アクセスに賃料を勘案してみると、どの物件も帯に短し襷に長しで、なかなかピッタリ来る貸店舗がありませんでした。「えいや!」と、思いきれば決まらないこともなかったようには思われましたが、始めるより続くこと、成功することが本質的な目的だったので、急ぎの開業はやめて、市場調査と人脈形成を兼ねて、一旦就職することに決めました。

 当時私は27歳、働くなら地域で一番忙しいお店に行きたいという思いで、県内に様々な事業を展開していた総合リゾート会社の、自宅最寄りのケーキショップ&レストランに履歴書を持って赴きました。特に求人を見たわけではなく、こういうお店は人材不足に違いなかったからです。
 数日後、社長の面接があるとのことで、電車とバスを乗り継いで宇都宮の本社を訪れました。相対すると、なかなかさすが迫力のある方で、この時一つ意外な質問を投げ掛けられました。それは、履歴書に書いた大学で選考した西洋史と、今私がこの会社でやろうとしている料理との、私の中での関係性についてでした。私は咄嗟に、
「よく解りません。」
と答えてしまいました。この質問は、私のその後の人生を通して答えを考えることになるほどの命題となりました。そしてその緊張感こそが、私がいまでも飲食店を自営できている原動力と言っても過言ではないと思います。

 さて、時はバブルの真っ只中です。私が入社(入店)してから一年後に、南国リゾート風な若者向けの構えだったケーキショップは、ご多分に漏れず高級感漂う菓子店へとリニューアルします。私はフロアマネージャーとして改築、改装、商品入れ替え、メニュー替え、人材育成などに携わりました。
 これらは当に、私が経営者として為すべきこと、必要なスキルです。自らの出店を見送って、会社員の道を選んだことで、
①店舗としての2種類の価値観
②価値観の変化に伴う業状の対応
③売り上げの作り方
④適材適所と人材管理
⑤クレーム対応力
などを身につけることができました。これは実際の起業と運営において、大変重要なファクターです。

 極めつけは、バス11台を連ねて行った社員旅行でした。行き先は北陸金沢。社長の「従業員には一流を知って欲しい!」という強い思いから、昼食は今はなき白雲楼ホテルの金屏風の大広間、兼六園で自由行動、宿泊は加賀屋ホテルという超豪華な旅でした。
 一泊二日、往復だけで14時間の強行軍でしたが、今でも自慢の種のひとつです。

   その会社もバブルとともに弾けて県内史上最高額の負債を抱えて民事再生法の適用を申請しました。私はその前に好物件との縁をいただき、そのニュースを独立開業してから聞きました。

 今なら、西洋史と料理の関係性については、勿論いくつかの答えを持っています。特に、お客様一人ひとりに合わせた料理のイメージと素材のチョイスという点において、会話や実践から得たものは大きいと思います。
 
 5年間の会社員生活でしたが、その内容は濃く深く体に刻み込まれました。上司や同僚の厳しさや優しさはもとより、機器のトラブルや人手不足、クリスマスからホワイトデーにかけてのトップシーズンでのあり方、メニュー構成や商品陳列、イベントの集客・動員など、様々な面で私を成長させてくれました。あの経験をせずに起業していたら、と思うと背筋がぞっとします。

#会社員でよかったこと


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?