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九死に一生を得るということ

父はもう20年くらい前から色んな施設にお世話になっている。
たしか65歳くらいの時に、くも膜下で倒れてからだ。
四肢に後遺症は無かったが肝心の脳に障害が残り、所謂見当識障害がある。
今ここがわからない。
かろうじて誰か・・はわかる。
リハビリ施設から病院に転院して老健にいる、
先日お見舞いに行ったが痴呆もあり病状かどうかもうわからないし
わからなくても問題はない。
何を話しても始終ニコニコしてて仏様かと思ったが
来月母が見舞いに来るというとさっとカレンダーに目をやった。
不慮の事故で、左目を失明し義眼を入れていたが自分で、取り外しが出来なくなったとかで義眼も入れてないし
メガネも掛けてなかったが手元は見えるという。

私はこの間例の瞳孔緊張症でMRIを受けた。
その際の問診に姉と父がくも膜下になったと書いたら、医師は「問題ないだろが定期的に検査した方がいい」と言ってた。

さて、タイトルの九死に一生を得るという話。
実は父はくも膜下で、倒れたのはなんと病院であった。
今はもうありえないけど病院の喫煙室で倒れた。病院に入院していたのは
ほんとにたまたまで仕事中に機械で、指を切って折ってしまい労災だから
念の為ということで入院。

わたしもその日夕方父の見舞い行っていた。味気無い病院食は辛かろと思い
サバの味噌煮かなんか持って行った。
そして、またねーと言って病室を出た
数時間あと連絡があった。
さっき会ったばかりなのに何事かと
思ったら
詳しく調べないとわからないけど恐らく脳に何か起こっており手術になると思いますとのことだった。
結果、くも膜下で緊急手術。
親戚家族が集まった。
手術の承諾書の話になり
その時、父と母は離婚しており(と言っても同居)母が署名できないといった。親戚はそんなことは知らず、母も毅然と説明すれば良いのになぜか半笑いであった。
親戚の伯父(父の妹の旦那)が
「ほんとに、失明はするし、ついてない人生だ。」と
言っていて、叔母はなんでこんなトンチンカンなジジイと結婚したんだよと思った。叔母さんのおかげで会社継がせて貰ってるんでしょ?
父は病院で倒れたんだよ!処置が早かったの!脳外の先生もいるし。

そして、わたしはあれからずっと父は施設に入院しているし
或る意味父の自由を奪ってしまっている人生なのだと
考えることもある。

九死に一生を得たものの本当に良かったのかなと
思ったりする。

一度、父のお見舞いに行った人から
「お父さんきちんと話せるのに何で入院
させておくんだ?」と言われたことがあった。
それはきちんと話せますよ。
父の頭の中では、自分は慶応大学卒業になってるんだから。
母にそのことを伝えたら
「それは学生の頃、慶応大学の家庭教師にお世話に
なっていたから」とのことだった。
父は高校(といっても誰もが知る男子の進学校)出てから
車が好きだったので自動車整備の勉強をして
会社を持つことになった。大学は出ていない。

見当識障害というのは、今ここがわからない。
前にも書いたがリハビリ病院に入院してた時に
「ココの部屋は一泊何ドルだ?」と聞いてきて
私も家族も笑ってしまってこの先の色んな事を考えるのは
もう辞めようと思ったのだった。

いつだったか
「ひ孫が生まれたんだよ」と言って写真を見せたら
「そんなの知らない(-_-;)」と言っていた。
父にとっては関係のないことなのだ。仕方ない。

そして、入院中は離婚をしたままだったが
母はずっと父の世話を当たり前のようにし続けていたので
「いろいろ世話をしているのに籍が入ってないと
また不便なことがあるからまた籍を入れたら?
同じお墓に入るのも嫌なの?」と聞いたら
「いやそんなことはない。じゃあまた
籍を入れなおそう」と思い再婚した。

父は見当識障害で
良くわかってない。きっと離婚したことも覚えてない。
母のことを伴侶と思って信じているわけだ。
役所に行って相談したらあっけなく
「本人が良ければ良いと思います」とのことだった。
なので再婚して、私は承認のサインをした。

きっと病気でなければ離婚をして
離れ離れになって・・おしまいだったと思う。
病気になって良かったとは思わないけれど
きっと神様のはからいに違いない。







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