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知らない駅名が続く旅へ

それは片道であった。青春18切符を買って札幌から東京まで、鈍行列車の旅をしたことがある。

美容専門学校の卒業式を終えて、社会人になるまでの(あの身分がふわふわした状態の、けれどもまだ学生である)三月半ばのことである。

四日かけてゆっくりと東日本を縦断する。この旅で決まっていることといえば、二日目に仙台にいる学生短歌会の方たちと、短歌を読み合い、批評しあう歌会を開くことだけで、それ以外は全くのノープラン。学生としては最後の旅であった。

一日目は北海道からの脱出で終わり、青森の本八戸で宿を取る。本八戸にはちょっとした歓楽街があり、そこに生きる人たちのことを思う。

二日目は本八戸から仙台へ向かい歌会をした。

三日目は仙台から福島にある飯坂温泉へ。 飯坂温泉にある共同浴場、鯖湖湯で旅の疲れを流す。流すお湯の温度は四十七度。冬でも熱い。

四日目に飯坂温泉から東京へという旅であった。

二日目のことである。青森の目時駅から盛岡駅までを繋ぐ、いわて銀河鉄道線に乗り込む。しばらくすると、今まで当たり前にあった雪景色が、徐々にその姿を消して行った。飛行機ではそうはいかない。地続きであることを思い知らされつつ、そして、ようやく自分が社会人になるのだと自覚させられたのである。故郷から離れていくという感覚が、ゆっくりと私の心へ降り積もっていく。

この旅の間、第一詩集『航海する雪』の編集をしたり、新たな詩を書いたりした。東京へ向かう鈍行列車での旅を書いたのが、詩集のはじめに収録した「やさしい頭痛」である。

「やさしい頭痛」を書いていた時、つまりはこの旅の間、よく聴いていた曲はキース・ジャレットのザ・ケルン・コンサートの音源であった。
ザ・ケルン・コンサートとは、ジャレットが一九七五年にドイツのケルンで行った、完全即興演奏である。完全即興演奏をするジャレットのことを考える。ジャレットは連日の車移動で、ケルンについた頃には相当な疲労が溜まっていたことだろう。疲労した体からどんな音が生まれるだろうか。
いや、その疲労を抱えた体だからこそ、彼自身の感覚が研ぎ澄まされていたのだろう。疲労している体、疲労している思考から生まれてくる音楽は、まさに自分を見つめて生まれてきた詩である。
目の前にあるピアノ。その体から発せられる詩を音に乗せる。内側に秘めた感情こそがまさしく詩である。ジャレットの場合は音楽が詩の体現であると感じる。私は言葉。言葉に詩を、私だけが得てやまない詩を体現する。

まずはまわりを見渡すところから始める。それを自分自身の内側に落とし込める。そこから生まれてくる詩を受け止めて、言葉にして飛ばしていく。

あまりにもありふれた環境から詩を一つ一つ見つけていけば、確実に見えていた景色が変わってくる。自分自身の詩は出発点へ戻らなくて良い。片道切符だけ握りしめていれば良い。

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