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【読書】カズオ・イシグロ「充たされざる者」

衝撃の展開の連続。終わらない悪夢と記憶の不確かさが突きつけられる・・・。

読んだ本や映画のことを忘れてしまうようになり、記録をつけておこうと思いたつ。まずは好きな本から、と、何年も前、カズオ・イシグロがまだノーベル文学賞を受賞する前に読んだ「充たされざる者」を選ぶことにした。

その時の印象は強く自分の記憶に残ったままだと思って書き始める。

シュルレアリスムの絵画がそのまま映像になった様な小説だというのが第一印象であり、下記の様な一節を書くに至ったのだが・・・。

『残りのページが少なくなるにつれ、お話の中の事態は全く収束しないけれど一体このままどう終わるのか、終わりは知りたいが、この小説をずっと読み続けていたい、と思った。

そして、ラストシーン。そのエピソードは映像的で最高に素晴らしかった』

そこで、そうそう、あのラストだけもう一度読み返そう、とページを開いて戦慄した。

記憶とは全然違っていたのだ。

ギリギリネタバレにはならないと思うのだが、私の記憶の中でのラストは、主人公が市電かバスの中で乾いたサンドイッチを突然渡されて困惑する・・・という内容だった。

慌ててまたこの小説を一から読み直してみた。前回はゆっくり時間をかけて細切れに読んでいったが、今回はほぼ一気読みだ。

すると、単なる謎でしかなかったエピソードが、意外にも互いに絡み合い意味深長であるようだと感じられてきた。1度目はすっかり話の世界に一緒に迷い込んでしまっていたが、2度目には全体が俯瞰して見えてきたのである。

簡単なあらすじとしては、主人公のライダーは(おそらく)イギリスの、(どうやら世界的に著名な)ピアニストらしい。(ドイツ語圏とおぼしき)とある地方都市に招かれてやってくる。演奏をすると思われるのだが、町中の人から(何か)特別な期待を持たれて、様々な出来事に巻き込まれていく・・・、といったところだろうか。

場所も時間も混沌として、時空をも超えたエピソードの数々。たかだか3日の間の話だがなかなかに盛りだくさんなのである。

そのディテールは・・・なぜか延々と人の長話に付き合う(大体の登場人物のモノローグが長い)、予定に間に合わなくなるのに連れていかれる、約束の反故と忘却の連続、服を着替える暇がない、突然現れる知人・・・等々とにかくツッコミの連続で、側から見ていてなぜか主人公はよくない方、間違った選択の方に引き込まれてしまう。

話はその先々でさらに状況が枝分かれして、元の地点に戻って来られなくなっている訳なのだが、唐突と思っていた場面転換や人との関係性の変換は、実は巧妙に仕掛けられ、いつの間にか “まるで夢の様に” 自然な地続きを成しているのであった。

この話は一つに(寝ている間にみる)「夢」を具現化するという試みなのではないかと思った次第である。

また、例えば主人公ライダーが知らなかった「両親が来る」という予定もいつの間にか、自分が急に決めたことになっていてそれを自身で納得する挿話が出てくるが、至る所で他者の記憶が自分の記憶に入れ替わっていたりしており、記憶がいかに不確かなものか、も言わんとされている気がする。

現に私がこの小説に対して全くの記憶違いをしており、記憶とは実にいい加減なものなのである。

「夢」や「記憶」のあり方を小説として具現化した奥深い小説だった。そして自分なりに考えさせられること、振り返りたくなることが色々と出てきてしまった。

物忘れをきっかけに記録をつけ始めた私に、うってつけの1冊となる。



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