ぐらしあすの「森田療法の神髄について⓻」

森田療法を受けに来るメンバーは神経質で、自分のこころを苦しめる何かに囚われている。
囚われているというのは、四六時中自分の症状に気を取られているということ。
なので、いつもと違う状況になると臨機応変に対処するのが難しい。

プログラムの中で興味深いものがある。
これは主治医が中心となるのだが、何かアドリブ的な行動を提案される。

実際にある高校数学教師は、お手製のレジュメを作って皆に配り、皆の前で授業をした。

またある時は、タクシーの運転手とお客さんになりきってアドリブをした。
運転手役「こんにちは、どちらまで?」
お客さん役「○○公園までお願いします」
運転手役「しかし今日は暑いですね」
お客さん役「そうですね、暑いですね」
運転手役「この道で行けば良いですね」
お客さん役「そうです、この道でお願いします」
運転手役「なかなか今日は車混んでますね」
お客さん役「そうですね」
お客さん役「ちょっとすみません、すぐそこのコンビニで一旦止まってくれますか?」
運転手役「わかりました」
運転手役「お客さん、着きましたよ」
お客さん役「ありがとうございます。ちょっと待っていてください」
お客さん役「お待たせしました」
運転手役「いえいえ」
運転手役「もうあと5分で○○公園に着きますよ」
お客さん役「コンビニで待機している時も料金上がるのですか?」
運転手役「そうなんです。ご不便をおかけします」
お客さん役「………」
運転手役「○○公園の入り口で車を止めたら良いですか?」
お客さん役「はい、そうしてください」
運転手役「着きました。2,500円になります」
お客さん役「えっちょっと高くないですか?」
運転手役「通常料金となります」
お客さん役「そうですか、わかりました」
運転手役「お忘れ物がないように…」
お客さん役「どうもありがとうございました」

アドリブでこのようなことを交代ごうたいで行うのである。
中川家の漫才の様だが、運転手役も、お客さん役も、緊張しながらも、何か面白いことを言ってやろう(どこか受けを狙って)という感じ。

こういった、ルーティンではなくアドリブを行うのも療法の一つである。
因みにぐらしあすは、お客さん役で、運転手役にあれこれと注文(受けを狙って)をしたような記憶があるが、内容は忘れてしまった。

その一連の行動を見ていた主治医が、ここはこう良かったなどプラスの評価を行う。

次回はなんのアドリブが待ち受けているのか、皆不安と緊張、そしてちょっと楽しみにしていたものだ。

ディプレッションまっさかり。ぐらしあすの「こころの声」を中心に、自分が体験したことや、時折感じる何のエビデンスもない、主観の記事も徒然に書いていきたいとおもいます。よろしくおねがいします。