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ミックスベジタブルのような思い出

何事も新鮮なものは有益だ。



「ミックスベジタブル」とは人参やじゃがいもブロッコリーなどの3-4種の野菜を冷凍食品としてスーパーやコンビニで販売されているものである。

ミックスベジタブルを使って料理すれば、下ごしらえが面倒な野菜を捌く手間が省いて、
それなりに美味しいご飯を作ることが出来る。
どれほどの保存料を使用しているのか、見た目の彩りは目に美しい。カラフルで手軽で、キャッチー。
料理が完成し、味は美味しいが、なんとなく食感が思っていたのとは違うけど、とりあえず完全体ではないある程度美味しい何かが完成する、そんなことはよく経験してきた。


新鮮な野菜を使って料理をすれば、より美味しい料理が作れて、何より料理に関する知見を拡大できる。


「思い出はミックスベジタブルのよう  けれど解凍してはいけない」
一俵万智 『サラダ記念日』

美化してしまった思い出や今までの経験なども、ミックスベジタブルのようなものである。
社会人としても半人前で、
この年齢になっても常に意志が宙に浮いている自分にとって、
輝かしい過去の栄光や、キラキラした青春時代の経験はミックスベジタブルのようで、
儚くも美しく見えて、全肯定してしまいそうになる。
だが、その時に得た知見を、冷凍保存して心に留めていた知見を
今解凍してもなかなか思うようにはいかない。

今立ち向かう試練に対して
過去の栄光を基に解凍した輝かしい栄光を振り返っても、即席料理のようなその場限りの結果にしかならないことが多々。


もちろん過去の自分や経験があるからこそ、
着想できるものもあるし、
昔得た経験や思い出は重要な価値ある財産に間違いないのだが、固執し過ぎることなく、
大切な思い出としてたまに開いてみて微笑むくらいの方がちょうど良いのかもしれない。


今現在、わたしにとって必要なのは
ミックスベジタブルのような艶やかな過去の思い出や、机上の空論ではないのではないか?
鮮度の高いうちにインプットしたことをアウトプットする経験なのだと思い知るばかりの日々ではないか?
ただそれだと経験さえも消費してしまう人間になってしまうのか?

肩の力を抜いてゆるく生きていけば良いと思う自分もいるし、そんなことどうでも良いと思う自分もいて、結局どう向き合えばよいのか。
いつも決断を渋ってしまい、
「何も考えない」という楽な方に流れてしまう。

「決断」と「思考」を渋っている状態は、全ての流れをせき止められているような状態である。
この流れをせき止める何かが、
いつかどこかのタイミングで訪れて欲しいと思ってしまう私はやはり臆病者である。


今年の夏で25歳になる。
自分の力で何かを成し遂げたり、何か作り上げた時に
自分にとっての心地よい生き方のヒントを得られるのかもしれないと思う。
まずはミックスベジタブルを使ってでも、自分の思いや意志を、
これから経験する新鮮なエッセンスを織り交ぜながら形にしていく、そんな1年にしていきたい。



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