見出し画像

銭湯文化継承の営みの街が暮れたら色めき


久々に旅先で素敵な銭湯に行った。
改めて銭湯の良さを感じたので、お風呂文化について感じたことを綴ろうと思った。


一人暮らしをしていた頃はよく1人で最寄りのスーパー銭湯に行ったものだ。
昔ながらの銭湯と新設の大型温泉における、
中間的な規模やサービス・設備はまさに“ちょうど”良い。

昔ながらの銭湯も近所にあったので、
そちらにも自転車を漕いで行くこともあった。
スーパー銭湯より格安で助かる。

平日休みの仕事をしていた時は、
よく早朝に起きてお昼過ぎまでスーパー銭湯で過ごして、
午後からショッピングに出かけたりしていた。
平日は土日より安くて有難い。
サウナ室内のテレビには、
いつも関西では『人間国宝』コーナーでお馴染みの『よ〜いドン!』が流れており、
1人ツッコミをするおばちゃんが先客で鎮座していた。

あの人はいつもサウナに入るのも水風呂に入るのも長時間だった。
外気浴をしている姿を1度も見たことなかったけど、あれは果たして健康上大丈夫なのだろうかと思ったりした。
ていうか基本的におばちゃんとかおばあちゃんが
外気浴してる姿をほぼ見た事ない。
そういう概念が無いのか。






今住んでいる家の近所にも徒歩10分で行ける昔ながらの銭湯があるのだが、最近行けていない。

近所にもう1軒、昔ながらの銭湯の建物があったのだが、
オーナーさんがお亡くなりになったようで今は閉業しているそうだと、先日最寄りの銭湯のサウナで喋ったおばちゃんから聞いた。

「それにしてもサウナは髪キシキシになるわぁ。
それを防ぐ為に最近サウナハットが流行ってるんやね、私はタオルを巻くけどね」と、汗を流しながらしきりに語っていた。



今回は初めて三重県の伊賀に足を運んだ。
旅好きの彼が余っている青春18きっぷを使おうと、声をかけてくれて、
電車に約2時間半揺られて向かった。

伊賀といえば「伊賀流忍者」となんとなくは知っていたものの、どんな土地なのか今までは全然知らなかった。
伊賀鉄道に乗って、忍者市駅で降り立つと、
駅構内には忍者で溢れていた。

引退する3年の先輩


駅周辺を歩くと、昔ながらの建物が並んでいて城下町の名残を思わせる。
また閉業済みの商店の看板や建物は味が出ていて、懐古の魅力を感じた。

かわいい緑
「ヲ」表記
キャンディのフォントが良い



この街は全体的には瓦屋根の古い建物が多いのだが、
意外と今時風のお洒落なカフェや雑貨店、古民家イタリアンなどもあった。
新旧の良さが共存しており、街並みを見るだけでこの地を愛する老若男女の存在を想起させた。

そういえば、この日自転車を押していたおばあちゃんと道中で目が合った時に「暑いねぇ、伊賀に来てくれてありがとうねぇ」と話しかけてもらったの嬉しかった。

サニーデイ・サービスだね


世界の銘柄が売られているタバコ屋さん
タバコ以外にも、雑貨やCDやレコードも置いてた




目当ての銭湯「一之湯」にたどり着くまでの道中で、素敵なお店や生活の営みを感じながら歩いていると、いつの間にか辿り着いた。

夕方のネオン

夕方18時前だとまだ日は沈みきっていなかったが、ネオンの光はクッキリと輝いていた。
暗くなったらもっと綺麗に光が引き立つのだろうということで、
隣にあった古民家改装のカフェにて夜ご飯を食べてから入浴しよう、となった。


奥には畳の座敷もあって「和」
実家で見た事ある風のお皿

店の名は「イチノユプラス」。
たまたまその日の夜1日限定で、
スパイスカレー屋が間借り営業しているということで、良いタイミングで来られて良かった。

運ばれてきたのは、実家で見た事のある風のお皿に乗ったスパイスレモンキーマ。
副菜にはナスが添えられており、スパイスの辛さで入浴前に良い汗をかいた。

20代後半か30代前半くらいの男性の店員さんが3人いた。
こういう雰囲気の飲食店の店員さんはみんな揃ってお洒落だ。
大体の確率で長髪の男性が少なくとも1人いるイメージ。
古くからの知り合いなのか、とても親しげに楽しそうに談笑しながら仕事をしていた。

そのうちの一人からどこから来たのか尋ねられ、「大阪から来ました」と答えると、
なかなか大阪からここに来る人はいない、と笑っていた。

そうこうしていると、店員さん達の知り合いらしき男性が入店し、 仲睦まじいやり取りからコミュニティが垣間見えた。
私達は一気に背景と化し、ただの客人Aと客人Bとなった。



お腹もふっくらして、代謝もアップしたところで、店を出て隣の銭湯に向かった。

暖簾の形で銭湯がある地域を判断できるらしい
関東型は丈が短くてフサが5つ
関西型は丈が長くてフサが2つか3つ

暖簾を潜り、戸を開けるやいなや、
銭湯ならではの、独特の塩素のようなフワッとした匂いと昔ながらの建物のウッディーな香りを身体全体で感じる。
この匂いが好きなのだ、私は。

若くて明るい髪色の女性が番台に立っている。
手馴れた様子で、受付で硬貨ケースを取り出し、スマートにお会計をしてくれた。

『ごゆっくりどうぞ〜!』
伸び伸びとしたよく通る声は私の背中を後押しするようで、良い湯への期待が高まる。

早速、女湯浴室に入ると、先客が5名ほどいた。
近隣地域の方だろうか。
皆家から持ってきたと思われるシャンプーやコンディショナーを入れた桶を陣地に置いている。

私は銭湯や温泉で、薬湯の説明や効能などの看板や張り紙などがあれば、
思わず熟読してしまうのだが、
その銭湯が発行しているオリジナル新聞が壁に貼られているのを見つけた。


この銭湯は大正12年からある昔ながらの銭湯なのだが、
三代目の方が現場から引退されるということで、
2023年7月より、京都の『ゆとなみ社』という会社が継業しているそうだ。

「銭湯を日本から消さない」の精神の下、
変わらないあたたかさをとどめる場所を守り抜いてくれているようだ。


なるほど、めちゃくちゃ最近の話ではないかと思いながら、
風呂に浸かり疲れを癒す。



そういえば昼の散歩で、たまたま今は営業していないらしい別の銭湯を見つけた。

池澤湯
素敵な門構え

こちらの池澤湯は既に閉業しているそうだ。
閉業の理由は何なのか、調べてみると「井戸水が枯れたから」だそう。
銭湯が消えてしまう理由に関しては、
継ぐ人がいないか、金銭的な問題なのかと今まで勝手に思っていたので驚いた。
私の思っている世界は狭きかな、
意外と震災などの影響で水の枯渇で閉業している銭湯は多いようだ。

井戸水の枯渇で閉業と聞き、そもそも井戸水が使われる銭湯があるのかと、それすらも水源に関しても知らなかった。



熱めの湯に入った後の、水風呂の温度がベストでとても良い。
少し錆びたライオンの形の蛇口から水がチョロチョロと流れているのを、ただただ眺めながら涼んだ。
快適な温冷交代浴に御礼を申し上げたい。



少し話はずれるが、
先日読んだエッセイ本に掲載されていた、
銭湯における鏡広告に関する文章が面白かった。
原文が著者運営サイトに掲載されていたので、貼っておくので、興味のある人は是非。



話を戻して。
湯から上がると、脱衣所には次なるお客さんが何名かいた。
そして私より前に入湯していた人に「今日も来てたんやね〜」と言い、
楽しそうに会話に花咲かせている。

先客が次々と馴染みの人だけでなく、
新規客の私にも「おやすみなさい」と挨拶を残し帰っていく。

番台の若いお姉さんが、帰っていく常連客のおばあちゃんと談笑する声が、玄関から脱衣所へ聞こえてくる。
この建物1階は玄関受付と女湯と男湯で吹き抜けになっている。

「いつもありがとうねぇー!」
「〇番目のシャワーの出方が悪かったで〜」
「ほんま?ほなちょっと見とくわ〜!ありがとうねぇーおやすみー!」


風呂に入り、身体的で物理的なあたたかさだけでなく、
地域の人と人との挨拶が交わされるという、
現代において当たり前のようで当たり前じゃないやり取りを見て、
心に光が灯るような精神的な温もりをじんわりと染み渡るように感じた。

それにしても「おやすみ」って良い言葉である。


湯上りの瓶牛乳


よく冷えた牛乳を買って、ソファで銭湯の特集が組まれている雑誌を読みながら飲んだ。

近くの棚には近隣の飲食店などのショップカードや、イベントのフライヤーもずらっと置かれており、
お洒落な古民家カフェにいる様な気持ちになった。

牛乳を飲み終わり、銭湯を出た。

夜の20時頃


辺りは暗くなっており、ネオンが神々しい。
これを見れただけでも、
今回伊賀に来たかいがあったと思った。

先程のカレーを食べた「イチノユプラス」の男性店員が建物前の喫煙所にいて、
写真撮りますよ、と声を掛けてくれた。

その後、この銭湯を今京都の「ゆとなみ社」という会社が運営していて、
話しかけてくれた男性が今運営者として、
この銭湯「一之湯」と隣にある飲食店「イチノユプラス」を運営していると語ってくれた。

サマソニや森道市場などの音楽フェスにもオリジナルの銭湯グッズを販売しに行っているとのことだった。
森道市場に行った時、そういえば銭湯グッズを販売しているお店があったなあ、ともしかすると顔を合わせていたかもしれない。

ちなみにこのネオンは最近若い世代によって新設されたものなのかと思ったのだが、
「ゆとなみ社」が継業する前からあったとのことで、ハイセンスな前経営者の存在を思った。

この日は日帰りで伊賀へ来ており、大阪への終電の時間は20:20頃だった。
そろそろ帰ります、と言うと、
「また伊賀に来てくださいね」と笑顔で見送ってくれた。


駅へ向かって、昔ながらの石畳の道を歩いた。
20時台だが、人気は少なく、静かな夜だった。

この静かな街において、ネオンの銭湯は、まるで灯台のように街全体の生命力を支えているようだ。
日が暮れると煌々と色めいていた光は、地域の人や旅行者の心をこれからも灯し続けるのだろう。
私もそのうちの1人である。

そういった地域興隆や文化継承に関わってくださっている方々には頭が上がらない。

私たちの生活を豊かにしてくれ続けていることへの敬意を今後も持ち続けたい、と強く思った。
この日はそんな一日だった。




この記事が参加している募集

この街がすき

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?