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「ペンタゴン・ペーパーズ」と「ブラックパンサー」と「万引き家族」の感想を聞いてみると…

ちょっとおこがましいけれど、この3作品の感想を聞くと何がわかるかというと、どの程度、相手の立場を想像できるか、相手に共感できる人かというEmpathyレベルみたいなものがわかる(気がしている)。

「ブラックパンサー」はとにかくワカンダの皆さん(男女共に)も映像も音楽もカッコよくて観終わった後に、とにかく「ワカンダ・フォーエバー」になったし、とてつもなく最高なものを観てしまった気になったけど、ワカンダとティ・チャラ(わたしのお気に入りはオコエだけど)の本当の素晴らしさは、実はこのビデオを観るまでまったく気がついていなかった。

「ブラック・パンサー」はそれまで「普通の」ヒーローとして描かれることがなかったアフリカ系アメリカ人を当たり前にかっこよく描けることがアフリカ系アメリカ人、子供、女性(女性キャラクターを”They were strong because they were strong”を評していた)、クリエイターをどれほど勇気づけることだったか。日本に住んでいて、わたしみたいに意味不明なアイデンティティだと、こういう感覚で「ブラックパンサー」を受け止めておらず、想像力がだいぶ乏しかったなとビデオを観ての気付き。

続いての「ペンタゴン・ペーパーズ/最高機密文書」。男性とこの映画について話していると感想がまーったく違うことに、人の映画の観方って色々だと実感する。これまで話した男性の多くは「事件のことを知っていたけれどこういう形で暴かれたとは」という「ジャーナリズムの正義」にフォーカスしたコメントをする傾向にある印象。それはもちろん言うまでもないし、それが今の世の中のジャーナリズムを考える上で、より一層印象的なテーマであることもその通り。

しかしわたしが見逃さないでほしいと思っているこの作品の魅力は、女性たちの強さ。今、生きているわたしたちの権利を色々勝ち取ってきた女性たちがいたんだなとありがちなことを言いたくなってしまうのだけれど、社の代表であるキャサリン・グラハム(メリル・ストリープ)も、ロイヤルファミリーの結婚式を出禁になってる女性記者も、ベン・ブラッドリーの妻も、レモネードの売りさばき方が神がかっているブラッドリーの愛娘も、ラストシーンの象徴的な彼女も、エンドロールでノーラ・エフロンに捧げてるところも。あの時代特有の制限がありながらも、「女のくせに」的な扱いに折れない彼女たちの強さが嫌味なく描かれている(という感想はあまり男性からは聞かない)。

最後の「万引き家族」。わたしが問題提起しなくても各方面で色々議論が巻き起こっているけれど、議論を起こすほどに映画のライト層も含めた色々なタイプの人が映画館に足を運んで、映画についてあれこれ話すことができるということもまたこの作品の力強さだと考えさせられる今日この頃。

観た時には、このような生活を強いられる人に共感するのが難しいというハードルが色々邪魔をした気がしたけれど、観てしばらく経つ今、予告でも使われている安藤サクラ演じる信代の「拾ったんです。捨てた人ってのはほかにいるんじゃないですか?」という台詞をはじめ、家族って、家族のかたちってなんだろうというところを考えている。「万引き」に注目しすぎちゃう人も結構いることに驚きつつ、こういう状況の人に身を置く人に思いをはせられるか、現代の家族の定義みたいなものについての想像力が働くかがが「万引き家族」評から見えてきて興味深い。

そして最近(良くない意味で)気になっているのは「バトル・オブ・ザ・セクシーズ 」の邦題決定のプロセス。このタイトル「セクシー対決」という誤訳にしか取れないのはわたしだけかしら?決定のプロセスでそういうツッコミをした人はいなかったのか?とか「セクシーっていれたら間違えてくる人いるんじゃない?」という議論がなされたのか、いずれにしてもなんだかもやつく邦題。ただ映画は最高(詳しくは別の機会に)



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