夢は花

夢は花

この手に種をいだいた瞬間
そこには既に
いつか花咲く力が宿っている

夢は花

綺麗な水を捧げて撒いて
素直に愛を注ぎ
敬い尽くせばその芽を出す

夢は花

光に当てて 肥料を撒いて
嵐を凌ぐ術を与えて
時が満ちるのを待つ

夢は花

開いて枯れて
ふたたび 次の夢を生み出すもの





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『人が思い描いたものは、その時点で既に何処かにあるものなのだ』といいますね。
実現できるからこそ夢として描き、どこかの世界線や未来にあるからこそ、想像の中で見る。


人間が動物と違うのは
『人間は目の前にないものを見られる』
というところかな、と。

今目の前にないものを想像し、求めたからこそ、我々は発展し、進化し、便利で面白い世界を作ってきた。


『こんな風になりたい』
『あれがほしい』
『どうしたい』
という衝動を素直に叶えるか、
それとも理性的に理屈で考えて欲求をコントロールするか、
諦めるのか、
我々には沢山の選択肢があります。

その中で譲れないものならば、まあ、譲れないのでしょうね。
譲る必要もないのかもしれませんね。

ただ、譲れないものをひとつ取り外したら、案外遠くまで行ける道へのドアが開くことがある
それが思いの外楽しくて、まぁ、案外、悪くなかったりしますよね。

それで「随分と辺鄙なところへ来たなぁ」と思っていたら、思いもよらないルートで、原点に帰り着いたりする。

旅から帰ってみた時、その『ホーム』は、なんだかあたたかくて、やけに居心地がいい。
楽しくてうずうずする。
これまで出なかった力が出たりする。

これまで出なかった力ってなんで出なかったんでしょうね。
意外なタイミングで、何も特別なことをしていなくても、楽しいことや嬉しいことにばったり遭遇した瞬間に
『パリーン!』
と、分厚かったはずの防弾ガラスの壁が弾けたりする。

恐る恐る踏み出してみると、驚くほど、呼吸がしやすい世界に出たりする。

きっと旅に出ている間、
よろよろと歩いていたその一歩一歩で、だんだんガラスを脆くさせられていたんだなあ、
なんてな。

すぐに見えなくても
すぐに繋がらなくても
やってりゃあ、なんだか予想外のところで、予想外に良いものになって戻ってきたり。

思ってたよりも赤い花かもしれない
思ってたよりも小さいけれど沢山の花になるかもしれない
わからないものがひとつずつわかっていって、
わかっていたものがひとつずつ遠くにぼやけていって、
それでも握りしめる夢の種は、ちゃんと咲かせる力を宿してここにある。


どんな花が咲くかにはこだわらないで、
ただ、どんな花が咲くかなぁとどきどきしながら楽しみたい。
わかった上でなんて、窮屈かもしれん。

見せるもの、見せられるもの
語るもの、聞こえてくるもの
選ぶもの、選ばないもの
注ぐもの、そうじゃないもの

愛を注ぐか、水を注ぐか、ご飯をやるか、肉か魚か、ご飯かパンか


選択のひとつひとつで、花の色が変わるんだろうなぁ

あれだ、ほら、うん、あれ

ああ、紫陽花だ、紫陽花みたいな


別に誰がどう思わなくても
綺麗と思わなくても
好きと感じなくても
選ばなくても
花は花なわけで

咲くことができれば、それがひとつの目標達成だから
「あの山の土が良いらしい」
「あの川の水がいいらしい」
みたいな噂に振り回されて、それを採りに行っているうちに枯れてしまったら、まぁ、勿体無いわけで

今あるもので、懸命に育ててやりたいな
などと思った。

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