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大好きな仕事を辞めるしかできなかった。

 私は保育士、幼稚園教諭を志して、専門学校もお金を借りてまで行った。
 親は片親。お兄ちゃんもいろいろと問題を犯して中卒。お父さんはたった1人で、会社を起こし、自分1人で働いている。

 そんなお父さんに迷惑をかけられないという気持ちが強かった。
 
 だから、ずっと貯金もしてきた。専門学生時代も、午前中は保育園で補助をし、理想の保育士像を求めて頑張ってたつもりだ。

 卒業の日、成績優秀者で選ばれた時、とても嬉しかった。それなりに努力しているつもりだったから。


 市の正規職員の試験に落ち、私は何故か安心した。その時は、自分の限界を知れていたのかもしれない。

 臨時になり、働くことになり、ワクワクドキドキだった。
 市から電話が来た。「あなたは〇〇幼稚園になりました。」

 私の住んでいる田舎では、幼稚園は数少なく2園ほどしかない。今まで新卒で幼稚園に行った人はいないと言われるほど、珍しいことだったらしい。

 ありがたいことに、実習でその園に行った際、自分なりに全力を出し切って、大成功した責任実習で、指導保育士さんがとても絶賛してくれたらしい。


 私は、働き始めてからもそのプレッシャーに潰されそうになっていた。4時45分に帰ってもよいのだが、先生方が帰っていないのに…という気持ちから、毎日残業していたんだな。。と今思う。

 毎晩、次の日にするクイズや制作の準備。さらには、先生から「お便り作ってみる?」と言われ、断れない私は、「はい、やらせてください!」と言っていた。

 土日の休みなんてないようなもの。

 でも、苦ではなかった。
 
 ある日から、私は家に帰るまでの車の中、涙が止まらなくなっていた。初めは、疲れたのかな。と思っていたが、
 それから1週間後、家に帰ると今までできていたことが倍の時間かかったり、朝、体が重く辛く、涙が出る。心は「行かなきゃ、たった3人しかいないのに、私が休んじゃダメだ。」。

 その日から、私の口から出る言葉は「私は要領が悪いから。」だったらしい。

 

 限界がきたらしく、幼稚園まで行けなくなった。幼稚園に行って子供たちの笑顔を見たいのに。

 休職してから気づいた。
 あぁ、わたし子供の前でも頭抱えてたかも。と….

 はぁ、失格だな。自分に幻滅する日々。


 今も、そんな自分と闘っている。

 明日がまた来るのか。普通の人たちは、嫌だなと思いながらも仕事に行き、誰かの役に立ち、自分の稼いだお金で日々を生きているのかと思うと、まぁ辛い。

 でも、今はとにかく自分が社会に戻れるように、全力で今を生きようとそう思う。

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