「良い子」の笠をかぶる
それは日常の中で、私の隙をついて出てくる。
とっても厄介なもの。
保育園の送迎や買い物をしているときに、子どもがなかなか言うことを聞いてくれないときに突如出現するのだ。
子どもには良い子に育って欲しい
聞き分けの良い子になってほしい
人に優しい子であってほしい
そう思えば思うほど、じわじわと侵食してくるのだ。ヤツが。
私はそのことについ最近まで気づいていなかった。
ここ最近は、自分が心地良いなと思う過ごし方をしよう、気の持ち方をしよう、それだけを心に留めて生きてきたつもりだった。
でもふとした瞬間に、「良い子」スイッチがバチんと入る。とてつもなく大きな音を震わせて。
夫からの一言で、再び崖っぷちに立たされた私は、ようやくその正体に気づいた。
自分がどうしたいのかが分からない。周りの人に答えを出してほしい。何が正解なのか、間違っているのか、何もかも。
私ってそういう人なんだ。
絶望した。終わった。
そう思ったときに一言
「『良い子』をかぶってやってきたこと、あったでしょ」
そこで、思い出した。私が5年やってきた仕事を辞めた理由を。
「良い子」を主張しながら仕事をしていた自分に疲れてしまったんだ、と。
今は、自分を取り繕わなくていい分、楽だ(時たま「良い子」が顔を出すかもしれないが)
(あー、自分は、『良い子』の笠をかぶりながら今までやってきちゃったんだなぁー)
「ナイルパーチの女子会」という本を前に読了した。
恵まれた環境で育ち、良い学校に入り、羨ましがられるような会社に入り、トントントンと順調にキャリアを重ねていく女性。学歴は申し分ないくらい。
なんてことない専業主婦だけど、その生活を綴ったブログが人気となり、人気ブロガーともてはやされる女性。
二人の共通点は一つ
「女友達がいないこと」
私と一緒。
二人とも最後は持ち合わせたキャリアも人気も失くしてしまうんだけど、今までかぶっていた「笠」にようやく気づけた。
二人とも「良い子」のままだったんだよ。
「良い子」だから、周りもそういうふうに見てくれると思っていたし、仲良くしてくれる。多少、周りが引くようなことをしでかしても、「良い子」だから許してくる。
その積み重ねが、周りの人を遠ざけていく。
まるっきり、私も一緒。
読了してしばらく、放心してしまった。
柚木麻子さんのこの素晴らしい本で、これだけの気づきを得られたはずなのに。
私はまだ、自分は「良い子」の笠を見つけられなかった。
この本の主人公と同じであることを認めたくなかったんだ。
数ヶ月後。私はまた同じように「良い子」の出現に悩まされながら、まるで反省ノートのようにnoteに自分の気持ちを綴っていくのだろう。
そんなもの、私でも読みたくないわ。
しばらくは、綺麗に整理された面白みのない内容が続くかもしれないけれど、私はnoteを綴ることを辞めない。
いつか、本当の胸の内に向き合えるようになってきたら、「良い子」の笠はいつの間にか跡形もなく消えているのだろうか。
そんな簡単には消えてくれないだろうから、しばらくは「良い子」が私の中にいるんだという事実を頭の片隅に置きながら、これからブックオフに行って来ようと思う。
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