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フォロワーが多いことがステイタスとされるこの時代に(note5年目私の決断)

こんにちは。
今回の日記は詩から少し離れて
noteにお邪魔させてもらうようになって
5年目の私の正直な感想。これからに向けて決断したこと。
この2つについて書きます。

相変わらずのほぼ一気書き。語尾不統一、誤字お許しを。

・note私のお気に入りポイント

SNSを長年やっていると交流関係がどんどん「詩」関係に集約されてしまいがちになってきてました。
「詩」の業界で一旗あげよう!と思っている人はコネクションづくりでいいと思うけど私はどうせなら「リアルでなかなか会えない」(距離的にも、分野的にも)人と交流していきたい。だってそれがSNSの醍醐味だもの。リアルで距離的に近い方々とずっと関わっているよりそちらがワクワクする。
noteはそのニーズに合ってる気がする。
実際共感ポイントの多い人たちと交わっているより?と一瞬戸惑ってしまう時間の必要なことや人たちと関わっているほうが詩のスパークは起こりやすく自分の枠を超えたものが書けたりもする。
日常に安心感は必須だと思うけど私の「詩作」に安心感は合わない。

・noteこうなったらいいなーポイント

詩の多くは縦書きで書かれている。noteで縦書きを使うには私にはすごくハードルが高い。今まで使ったことがないやり方でないとnoteで縦書きの詩は出せない(簡単な方法を私が知らないだけだったらごめんなさい。)以前の日記にも書いたけど縦書きでしか発表したくないからここでは出してない過去作がある。自分で気に入った作品もあるのに、残念。

note利用者の回転の速さには驚いた。興味を持ってフォローしたのにもう全く更新されていない人が増えていくのはかなり寂しい気持ちになる。フェイスブックやツイッターを止めたはめったに聞かないけどnoteは第2、第3のSNSポジションなためか私の感覚では異様に利用者の回転率が速い。これが企業だったら「離職率」みたいなものだから好ましいことではないと思う。SNSの宿命かもしれないがいくつか理由を考えてみたけれど
 ・古参の方がなんかもういいやといいっているのをよく見かけたりする
 (理由は不明だが、大事なポイントが隠されているかもしれない)
 ・発表作品が多すぎて絞れない。同じ人が一日に何度も何度も投稿していたりしてそれも同じように表示されるので私の場合スクロールがちょっと面倒くさくなったりもする
 ・コメントを書く人の少なさ
コメントを書くのは勇気がいるから気持ちはわかる。しかしそれにしてもコメントが少ないと思う。コメントが多い人のものを読んでみてもある程度知り合いになってる同士とかちょっと内容に納得いかなくて批判っぽいとかもあり純粋に批判でなく内容についてコメントしている数がとても少ない気がする。これでは書き手の気が削がれる。つぶやきでなく長文を書いているのだから。やっぱり♡よりコメントが嬉しくないだろうか?少なくとも私はそうだ。ぶっちゃけ、最後まで読んでなくて♡つけてない?疑惑もあったりして実際試してみた。出来るんだね…。うーむ…。
それもあって最近では♡より出来るだけコメント書こう運動をひとり推し進めている。もちろん、気持ちが動いたものだけだけど。

そして最後

note5年目の私の決心

まだかなり先の話ですが(何年もかかるかもー!でも先に宣言!)
フォロワーさんは100人までにします。それ以上は増やしません。
(ちょっと見てなくて数日上回る日もあるかもだけど)
タイトルに繋がるけれど「フォロワーの数が多いことがステイタスとされるこの時代に」私はあえて逆らっていきたいです。
※いや網野ちょっと待て!フォローなら制限できるけどフォロワーを制限?
どうやって❓まぁちょっと秘策考えてます。なってからのお楽しみ!
(うまく出来るかは…やってみないと分からない。人生トライ&エラーさ)

理由 100人くらいが私の読めるいっぱいいっぱいだから。

これはなにかの研究でも検証されていますよね。100人くらいが限度だと。せっかくフォローしてくださった方の書かれたものは何かの縁があると信じて時間の許すときに読みたい。たまにはコメントだってしたい。フォローの数よりフォロワーが多いことにちょっと悦に入るような人間にはなりたくない。のです。
何年後にフォロワー100人になるかわかりませんがまだまだ続けるつもりなのでいつかはきっとなるでしょう!(期待(^ω^))
100人を超えたら脂汗を垂らしてでも再考して自分の追いかけたい100人を残していきたい。
今から書いておきます。
付き合いあるなし関係なし。忖度一切なし。で。

私は無名の詩書きにすぎません。
以前心理カウンセラーが職業の友人が私に言ってくれたことがあります。
「自分に何かをもたらしてくれそうな影響力のある人に人が群がるのは当たり前。肩書も才能も財力も、何にもないかもしれないあなたに魅力を感じて側を離れない人があなたにとって最も大切な人だよ」

詩のなかで最も心震えたのが「表札」でした。石垣りんさんの作品です。
あの作品のフレーズのように名声にも肩書にも一切目をやりませんでした。
これからもそうです。
ただただ生きている限り
詩を書き続けていきます。詩にもたれかからず生活も大切にしながら。

「今日は日曜だから網野杏子がnoteアップしてるな。読みにいってみるか」
そう思っていただけたらどんなにか幸せでしょう。
そんな私の
どうぞ100人のひとりになってください。

                    (了)

  

アンビリーバーボーな薄給で働いているのでw他県の詩の勉強会に行く旅費の積立にさせていただきます。