日記

入院中に読もうと思って、村上春樹の新刊を買って読み始めた。村上春樹の良さは、読んでいるとき現実的な惨めさに直面しなくていいことだと思う。それでいて、文章が洗練されているので、馬鹿馬鹿しい絵空事を読まされている気にもならないで済む。

村上春樹が嫌いだという友人がいた。そんな彼女に映画のドライブマイカーをすすめたら、何故か観てくれた。観てから、村上春樹原作だということに気がついたらしい。彼女曰く、「私が面白いと思う話には決まって『下品な男』と『感情的な女』が出てくるけど、ドライブマイカーには『上品な男』と『淡々とした女』が出てくる。対極なのに、なぜかおもしろかった。飽きずに観れた自分にびっくりした」とのことだった。

そんな彼女は、進撃の巨人ではライナーが好きだという。私にしてみれば、ちょっと直視したくない類の男だ。

彼女は優しいひとで、しかも世の中や人生の理不尽さを受け入れられる逞しさのあるひとで、狭量でさもしい私のような人間とは正反対である。だから、ライナーみたいな男に対して母性のような慈悲の心を抱くことができるのだろう。

村上春樹作品には、きまって上品な男と、淡々とした女が出てくる。彼らは孤独だが、なんとなく美しい佇まいをしており、醜悪極まりない見たくないものを見せてくることは決してない。せいぜいヤミクロぐらいなものである。そういうところが心安らかにして読める。

そういえば、今週のジャンケットバンクが素晴らしかった。勝ち方に驚かされつつ納得したのもそうだが、子供たちのために立派な大人を探し続けた眞鍋先生の長い探究の終わりが、本当に想像を超えていた。当初、マフツさんの保持している『子供のような心』が解になるのかなと予想していたけれど、そんなもんじゃなかった。

そこに至るまでの会話劇ももちろん素晴らしかったのだけれど(二人の台詞の応酬と表情が)、眞鍋先生敗北後の心象風景が特にすごかった。子供たちの他愛無い悩みが、中高生になるにつれて自分自身に対する失望、それに伴う将来への期待感の消失へと変わり、大人になると更に生々しい嫉妬や焦燥、無力感に変容する。無数のそれは殆ど悲鳴や嘆きであり、大人になるということはそういうことなのかと絶望しかける。

あんなに等しく輝いていた子供たちは、なぜ大人になるとダメになってしまうのか?熱をなくして、醜い脂肪の塊に成り果てるのか?

「いいんだ。君たちの人生にはたくさんのマルがついてる。幸せになってください」

眞鍋先生の『立派な大人を探す旅』は、立派じゃない大人を許すことで終わった。ルールのない世界でも子供たちは幸せになれると希望を持って。

マルを数えて生きよう。
私のいる世界は村上春樹的美しい世界ではないし、私も美しくも賢くもないけれど。いつも惨め極まりなくて失敗や後悔ばかりだけれど。

それでも、ついてしまったバツよりも、マルを数えて生きよう。

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