わたしの心をとらえる自転車じいさん


近所の至る所で出没する、自転車じいさんがいる。


じいさんといっても身長が180センチ近くあり、がたいがしっかりしているので、一見遠くから見るとじいさんに見えない。
しかし、近くで見ると、スキンヘッドでその顔の年輪を見ると、明らかにじいさんなのだ。

そのじいさんは自転車のサドルをマックスに上げ(足が長いので)、ゆったりといつも自転車をこいでいる。
たまに自転車をひきながら歩いていることもある。

自転車のカゴはなく、いつもTシャツに短パンという軽装で、ナイキのキャップをぶら下げ、筋肉がしっかりとつき、細く長い足でゆったりと歩いている。

どう見ても、買い物の帰りにぶらっと自転車に乗ってるじいさんではない。

自転車への熱い情熱を感じる。そして自由にぷらぷらと散策するのを生きがいに感じている風にも見える。



6年前にそのじいさんを見てから、わたしは勝手に親近感を沸くようになった。

話しかけたことはまだないが、(いつもじいさんは軽快に自転車をこいでいるか、自転車をひいてるときも、遠くの目的地を見つめるかのような視線なのだ)そのじいさんを見かけるたびに、どこかほっとするのである。


小学生の頃、わたしは自転車で町中をぶらつくのが好きであった。

目的はないが、とにかくいろんな方面へ自転車を走らせ、無駄に坂を上っては下りるときの爽快感を味わっていた。
友人とつるむのでなく、ひとりで自由に動き回るのが好きであった。

すこし浮浪人体質の小学生だった。

珍しく友人たちと自転車で帰るときも、急に「今月号のなかよしが今日発売日だった!」と思い出し、友人たちに何も告げずに、しゃーっと走り去り、周囲を困惑させるような、突発的で協調性のない小学生だった(あとで心配した友人が追いかけてきてくれて、「大丈夫?なにかあったの?突然行っちゃうからびっくりした!」と声をかけられた)

そんなわたしだから、妙にこのじいさんには他人とは思えない何かを感じずにはいられない。


じいさんは、いつもひとりだ。

正確には自転車が相棒。

立ち止まって、じいさん仲間と立ち話をすることはない。なにか、遠いどこかを追いかけて、町中を走っている。

じいさんに焦りはない。

常にゆったりと自転車をこぎ、完全に自然と調和している。


過去にお世話になったカフェオーナー兼自転車屋のおじさんも、ポタリングが趣味で、ゆったり自転車をこいで街を散策しているような人だった。

自転車屋をやっているのに、自分の自転車に鍵をつけず、何回も盗難にあっていた。何度も自転車を盗まれても、鍵をつけないその姿勢に、感動すら覚えた。


その世話になったおじさんと、自転車じいさんの空気感がとても似てる。

共通するのは、自由に街を自転車で回ることが好きなのと、ちょっとした浮浪人的なところだろうか。

じいさんはただ自転車をこいでいるだけだが、その存在が、わたしをほっとさせてくれるのである。



2018.5.25『もそっと笑う女』より

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