ちょっと心配なことがあるねん



「ちょっとちょっと、あんたに聞いてほしいことがあるねん」
母親より年代が上の知り合いに呼び止められた。
聞くと、何気ない知人からの一言で傷ついた、ということだった。
相手は何気なく言ったことだと思うが、確実に傷けた一言だった。え、70代を超えても、こんな学生のようなイザコザがあるん?
30以上も年の離れたわたしにわざわざ感情を吐露してくれたのである。こちらも真剣に話を聞くしかない。
ひとしきり聞いた後、「ごめんなあ、ありがとうなあ!」と晴れやかな表情で彼女は去っていった。

友人から「ちょっと電話していい?」とLINEが入る。
何かあったのかと思い、すぐにかけると、
「ちょっと聞いてほしいねん!これってどう思う??」
要は、とある人からの言葉で深く傷ついた、という女性同士のややデリケートな一件である。
ひとしきり話をして、結局彼女は「ごめんなあ!ありがとう!」と晴れやかに電話を切った。
五月という時期は、人をナイーブな時期にさせるのだろうか。


10歳の息子が寝る前に「ちょっと心配なことがあるねん」と不安げな表情で言ってきた。
小学生高学年になると厄介になってくる、クラスでの人間関係なのか、はたまた、、ごくりと唾を飲み込み息子の顔を真剣に見つめると、

「体育のバレーが全然上手にできない。去年までのソフトバレーは簡単で楽しかったのに、なんか今年になって急にやることが難しくなって、僕、全然できひんねん、明日の体育心配やわあ〜〜」

内心、え、そんなことで、と思ったが、10歳の息子からしたら人生重要事項の一つであると察知し、しばらく真顔で聞いた。
わたしは運動に関しては何一つ得意でもないし、なんなら教えられる自信など1ミリもないのだが、この世の終わり級な表情をしてる息子に対して、
「じゃあ、お母さんが練習付き合うわ」と言うことしか出来なかった。
息子は一瞬、え、お母さん、教えられるの?という疑心溢れる目をしたのを見逃さなかった。その後に、「まあ、バレーが上手く出来ひんくても、別に死なへんで。ほら、お母さん今元気に生きてるやろ?」と付け加えた。
息子はちょっと間を置いてから「うん、わかった」と言って、大人しく寝床についた。

翌日、やはり寝る前に息子が、
「あ、バレー、上手くできるようになったで。友達と一緒にやってたら、コツを掴んでん!」

思い返すと息子の「心配やねん」は、幼児期からあった。
跳び箱が跳べない、などのかわいらしいものだが、それは毎度、この世の終わり、極度の緊張感を解放させるかのように、「心配やわあ〜」と大量に呟き、大抵はなんなくクリアーしていたし、いつの間にか忘れていった。
時々息子は「もう!心配やわあ〜〜」と言いたいがために生まれてきたのではないかと思うほどだが、その後はいつも晴れやかな表情になっている。






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