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ミステリ小説紹介①「儚い羊たちの祝宴」

みなさんどうも、おどりばさとです。

 本記事では、私のお気に入りの小説のひとつである「儚い羊たちの祝宴」を紹介していきます。ネタバレは途中まではナシという形をとりますので、この本が気になったよという方は「以下ネタバレ注意」というところで読むのをストップして、実際に本を手に取ってもらえると嬉しいです。気にしない方はぜひ最後までスクロールしてくださいね。
 ちなみに以下ではタイトルを「儚い羊」と略記します。


初めに言っておくと、この本は
「甘くてすっきりとしていて飲みやすい毒」です。


 このように表現した理由は後で説明しますので、まずはさっそく紹介を始めていきましょう!


バベルの会とは、幻想と現実とを混乱してしまう儚い者たちの聖域なのです ___「儚い羊たちの晩餐」より


1.「儚い羊」の基本情報と構成

 「儚い羊たちの祝宴」は、米澤穂信(よねざわほのぶ)氏により書かれたミステリ作品で、2008年に刊行されました。
 米澤氏は「このミステリーがすごい!」等の3つのミステリランキングにおいて二年連続の三冠を獲得したことのあるほどの実力をもつ作家さんです。彼の「氷菓」という作品はアニメ化、実写映画化がされているので知っている方もいるかもしれませんね。

 今回紹介する「儚い羊」は、それぞれ50~70ページほどの長さの、以下の5つの短編小説からなる短編集です。

 ・身内に不幸がありまして(面白さ☆4)
 ・北の館の罪人(面白さ☆4)
 ・山荘秘聞(面白さ☆3)
 ・玉野五十鈴の誉れ(面白さ☆
 ・儚い羊たちの晩餐(面白さ☆3)
(面白さはもちろん完全なる個人的感想です!!)

 これら5つは直接に関係している訳でなければ、全くの無関係である訳でもありません。それらは「バベルの会」というお嬢様たちの読書サークルによって緩やかに結びついているのです。バベルの会があまり話に関わってこない短編もありますが、それでも各短編に必ず一人はバベルの会に参加している人物が登場します。そして、そのような短編を4編読んだあとに最後の「儚い羊たちの晩餐」を読むと・・・

……おっと危うくネタバレをしてしまうところでした、これについてはまたあとでお話ししましょうか笑


 本来であれば5つの短編全てを紹介したいのですが、あまりに文字数が膨れ上がるとブラウザバックされてしまいそうなので、今回は泣く泣く「身内に不幸がありまして」と「儚い羊たちの晩餐」の2編のみのあらすじと結末を紹介します。
(「玉野五十鈴の誉れ」は本当に面白いのですが、短めの字数で面白さを伝えるのが難しいため選びませんでした。気になった方は是非読んでみて下さい。ラスト1行でぶっ飛びますよ。


 さて、ラスト1行と言いましたが、それに関して、あらすじの紹介に入るまえに単行本版「儚い羊」の帯裏のテキストを見てみましょう。

ミステリの醍醐味と言えば、終盤のどんでん返し。中でも、「最後の一撃(フィニッシングストローク)」と呼ばれる、ラストで鮮やかに真相を引っ繰り返す技は短編の華であり至芸でもある。(後略)

 本作はこの「一撃」を各短編で確実に私たちにお見舞いしてきます。このことが「儚い羊」の大きな特徴のひとつですね。

 ラストに衝撃の結末が待ち構えているということを知ってしまっていると驚きは半減してしまうかと思いきや、そんなことはない。この本を読んで私もそのことを思い知らされましたよ…。


 と、この調子だとやっぱりネタバレを書きそうになっちゃいます笑
 さっさとあらすじ紹介に移りましょう。


2.各短編の大まかなあらすじ

「身内に不幸がありまして」と「儚い羊たちの晩餐」の中盤までの内容を含みます。それも見たくない!という方は3.まで飛ばしてください。長くて読みたくない!という方も…まあ仕方ないので飛ばしてください…

 ・身内に不幸がありまして

村里夕日は孤児院から丹山家に引き取られ、令嬢である丹山吹子の身の回りの世話をするようになると、その美しさや気立ての良さに引き込まれていった。吹子は読書家で、夕日に秘密の書架を作らせ彼女とともに本を隠れ読むほか、大学では「バベルの会」に入会した。バベルの会が蓼沼で行う夏の読書会を楽しみにしていた吹子だが、丹山家から勘当されていた吹子の兄・宗太が読書会の二日前に丹山家の屋敷を襲撃したことで読書会へは参加できなくなってしまった。負傷し逃げ出した宗太は死んだこととされ、吹子はその葬式に参加しなければならなかったからである。しかしそれ以降、ちょうど一年毎に丹山家の人間が殺害されるようになる。屋敷の使用人達は宗太が帰ってきたのだと恐れおののくが、夕日は自分が寝ている間に歩き回って無意識のうちに殺人をしたのではと恐れを抱くようになり・・・


 ・儚い羊たちの晩餐

ある女学生が荒れ果てたサンルームの中で一冊の本を見つけた。それは大寺鞠絵という少女の日記で、1ページ目には「バベルの会はこうして消滅した」と記してあった。鞠絵は会費が払えなかった為にバベルの会を除名されたのだという。彼女は父親に会費を払うよう頼むが、財産の誇示にしか興味のない彼は取り合わず、厨娘という特別な料理人を雇い始めることを自慢するばかりだった。厨娘のが屋敷にやって来ると、鞠絵の父親は宴を開き、客前で料理を披露することも役目と言う夏を退け、厨房で料理をさせた。その料理の腕は素晴らしかった。しかし後日に高額の費用を請求され、費用の内訳をみると、夏は出された料理をはるかに超える量の食材を使っていた。それでも強がって夏を雇い続ける父親を尻目に、鞠絵は自分がバベルの会から除名されたのは本当に会費の問題だったのか、疑問に思っていた・・・

3.「儚い羊」の魅力

 さあ、ここから「儚い羊」全体を通しての魅力について語っていきたいと思います。ようやく本題、と言ってもいいかもしれませんね笑

 「儚い羊」の魅力は大きく分けて次の3つです。

 ・優美な語り口
 ・淡々とした描写と独特な主従関係
 ・ダークで衝撃的な結末

 そしてこれらは互いに影響しあって「儚い羊」独特の雰囲気を形成するのに貢献しています。
 それでは、ひとつひとつ順番に見ていきましょう。


・優美な語り口
 先のあらすじからも感じられたと思いますが、登場人物のほとんどが名家のお嬢様や使用人といった上流階級に属しています。

常に身を慎み、考慮を加えぬ言葉はたった一言たりとも口にしてはならない。わたしは、そう自分を戒めながら育ったのだ。
___「身内に不幸がありまして」48頁 吹子の発言

 そう、こういう人たちです。彼女たちが本文の語り手を担っているので、語り口は非常に優雅で上品です。その言うなれば「上流感」は、現実離れした印象を私たちに与えますが、それはミステリーにおいてはワクワクを伴うものです。


・淡々とした描写と独特な主従関係
 先ほどは語りが優雅だの上品だのと言いましたが、しかしそれは表現が回りくどいという意味ではありません。

「私は思いますの、それはさも薔薇のような…或いはジャスミンですわ!」
 みたいなタイプ(?)ではないということです笑

むしろ描写は非常に淡々としていて、余計な言葉、回りくどい表現はほとんどありません。そのため、文体に上品さがあふれていながらもウザさはなく、とても読みやすいです。上の例文がウザすぎるだけかも知れませんが笑


 その一方で、使用人とお嬢様・雇い主の関係は叙情的に描かれ、魅力的です。この「主従関係」というものは全ての短編に描かれていますが、そのどれも形は異なり、どれも独特ですので、読んでいて飽きません。特に、

五十鈴、わたしの五十鈴。わたしの使用人。わたしの、たったひとりのともだち。___「玉野五十鈴の誉れ」230頁
村里夕日は望んでいた。吹子お嬢さまを独り占めにすることを、心の底から、望んでいたのです。___「身内に不幸がありまして」44頁

このあたりに至っては、ほとんどゆr…….…失礼、いずれにせよ、描写はシンプルなれど、魅力的な主従関係が色を与えてくれているということです。


・ダークで衝撃的な結末
 そしてこれですよ。「儚い羊」の最大の特徴は、上述の優美で淡々とした語りが、非常にダークで衝撃的な結末を導くところにあります。1.で紹介したフィニッシングストロークですね。背筋がぞくりと凍り、体に静かに電流が流れるような「一撃」を食らわされます。

 というのも登場人物が完全にサイコパスなんですよね…無差別タイプではなく、完全合理主義サイコパスばっかりです。自らの目的のために異常な行為を平然とこなす姿には恐怖しかありません……
「純粋にして邪悪な存在」って一番怖いですよね。

 しかし、上品な文体のおかげで悪趣味さが抑えられ、読むのをためらってしまうようなエグさはそこまで感じられません。まあその上品さが内容の黒さ、暗さを一層引き立てている側面もあるにはあるのですが、少なくとも悪趣味ではありません。

 さらに、事の全貌があまりにも淡々とドライに語られるので、まとわりつくような不快感もありません。おそらく同じ内容がねちっこくおどろおどろしく書かれたら不快に思う人も多かったでしょうが、これは話の内容の割には読後感がそこまでは悪くなく(もちろん悪いには悪い)、スパッと読めるのです。

 


 本記事の最初で「甘くてすっきりとしていて飲みやすい毒」という表現をしたのは、以上の3点の特徴からです。

 こんな言い方をしたら読んでくれる方がいなくなりそうですね笑


本作の魅力は、他にも
・散りばめられた文学ネタと伏線
・短編の並ぶ順序(「山荘秘聞」が3番目であるのが素晴らしい)
などあるのですが、字数の都合で残念ながら省略します。


以下ネタバレ注意!

 ここからは「身内に不幸がありまして」「儚い羊たちの晩餐」の結末をネタバレしていきます。
 「儚い羊たちの晩餐」に関しては、人によっては気分の悪くなる内容だと思いますので、苦手な方はご注意下さい。



4.各短編の結末とそれに対するコメント

2つの短編の結末をガンガンとネタバレしていきますよ!!

・身内に不幸がありまして
 自らに殺人の嫌疑をかけた夕日は、毎年殺人が起こる7月30日の前夜、自分の体を縛ったうえで眠りにつきます。と、ここまでは実は夕日の手記に記された内容なのでした。

 そして視点が移り、丹山吹子による述懐に切り替わります。

仕事は手早く片付いた。夕日を殺すのは、なんでもないことだった。
___「身内に不幸がありまして」45頁

 吹子は縛られた姿の夕日に驚くも、彼女の手記を読んで状況を理解し、予定通りに計画を実行したのだといいます。その計画とは、夕日の死を自殺に偽装し、一連の殺人の犯人に仕立て上げるというものでした。つまり丹山家の人間を毎年殺していたのは吹子だったのです

 しかし吹子が特に驚いたのは、吹子と同じ恐れを夕日が抱いていたことでした。そう、吹子は、夕日よりも前から自らの眠りを恐れていたのです。そして吹子は眠りを強く恐れる一方で、眠り・悪夢・夢遊をモチーフにした小説の虜となっていました

高所恐怖症でありながら塔の天辺に近づくような、破滅的な快楽をわたしは楽しんだ。___「身内に不幸がありまして」49頁

 吹子が悪夢を詰め込んだ秘密の書架を共有するうちに、吹子の恐れを夕日も恐れるようになったのだろうか、と吹子は考えます。

 そのような状況の吹子なのですから、泊まりの読書会になど参加できるはずもありません。

社交的観点から、わたしは「バベルの会」の読書会に参加しなければならない。しかしわたしは、夜、他人と一緒に眠るという恐怖に、到底耐えることができない。___「身内に不幸がありまして」51頁

しかし回避する方法を、吹子は兄・宗太の葬式の際に学んだのです。

吹子はバベルの会会長に電話を掛け、言います。

会長、実は ――。身内に不幸がありまして
___「身内に不幸がありまして」52頁 本文最後の一文



いやあ。これは驚きました。吹子が犯人であることだけは何となく察しがついた人もいるでしょうが、まさか短編のタイトルがそのまま本文最後の一文になり、殺人の動機になるとは思いもしませんでした。


 人前で寝たくないからバベルの会の読書会に行きたくない
          ⇩
身内の誰かが死んで、「身内に不幸がありまして」と言えば断れる
          ⇩
      わたしが殺せばいい

という思考回路は非常に論理的かつ常人には理解不能ですね。彼女にとって殺人は、目標達成のためのたくさんある手段のうちの一つに過ぎないのでしょう。にしてもそんな理由で殺しちゃうんか・・・

 吹子が本当に血も涙もないかというと、一応、夕日の葬式の際には次のような心中が窺い見られます。

わたしは、やはりどこかで、この愛すべきしもべを手放したことを悲しんでいたと思う。___「身内に不幸がありまして」51頁


・・・・ウソ泣きしながら。
ああやっぱりダメですね。「しもべ」「手放した」という表現からも、夕日を人間としてしっかりとは見ていなかったようです。夕日がいかに吹子を慕っていたか手記により明らかになった後の展開としては、あまりにも非情です…


 ラストで引っくり返す小説は数多くありますが、本作は動機で引っくり返すというやや珍しいパターンの短編でした。


・儚い羊たちの晩餐
 鞠絵は去年の読書会で、バベルの会メンバーと「二壜のソース」の話をしたことを思い出します。もう会には戻れません。

 鞠絵は自分の父が、名うての相場師であった祖父を毒殺して財産を横取りしていたことを知ります。彼女はおじいちゃん子でした。

 鞠絵は屋敷の応接間に飾る絵として、ジェリコーの「メデューズ号の筏」を所望します。理由は大寺家に似合うから。

 鞠絵はバベルの会会長と再び話し、除名された本当の理由を知ります。

バベルの会とは、幻想と現実とを混乱してしまう儚い者たちの聖域なのです
___「儚い羊たちの晩餐」288頁
心の底に、ほとんど致命的なまでに夢想家の自分を抱えている。バベルの会には、そうした者が集まってくる。___「儚い羊たちの晩餐」288頁

 会長は、鞠絵は心の底から実際家だと言います。現実と正面から向き合える鞠絵は夢想家たちの暗所を荒らしてしまうのだと。鞠絵は納得します。

 しかし父による祖父殺しを知ったことで、彼女の精神は錯乱していきます。父が財を得たことで暮らしは向上したので、実際家の鞠絵ならば父に感謝するはずです。それなのに彼女は祖父のかたきうちをする夢想をしてしまうのです。

 鞠絵の精神は混迷を極め、厨娘の夏に「アミルスタン羊」の料理を宴に出すように求めます。仏教説話では「ザクロの味」に似ているとされるそう。

 そして彼女は、アミルスタン羊の狩り場として、夏の蓼沼を指定します。(この語に見覚えはありませんか?「身内に不幸」あらすじの中で・・・)


 鞠絵は、彼女の夢想のためにバベルの会をいけにえに捧げることで、バベルの会と大寺家の両方にふさわしい者へと変身すると言います。そして夏が会員のうちの誰を選ぶのか、思いを馳せます。
 ここまで言えば「アミルスタン羊」の正体は分かりましたよね。



 しかし鞠絵は1つの思い違いをしていました。それは厨娘が規格外の量の食材を仕入れる理由についてです。鞠絵は最も良い食材を探すためだと考えていましたが、それは違いました。厨娘とは、主と客の前で、まだ使い道のある食材を大量に捨てながら料理をすることで贅沢を体現し、金持ちを楽しませるための存在だったのです。

わたしの夢想に捧げられた、夢見る儚い羊たち。悉く狩り尽くされ、あるいは一匹も残らない。___「儚い羊たちの晩餐」317頁




夏が蓼沼から戻ってきます。

古書に曰く、アミルスタン羊は『唇』が佳(よ)いとあります。今夜は唇の蒸し物を、心ゆくまでご堪能いただきたいと考えております。

ここで鞠絵の日記は途切れます。





 日記を読み終わった女学生は、日記の置いてあったサンルームを気に入り、自分の場所とすることに決めます。彼女もまた『儚い者』なのでした。

 そして本文は次の一文で締めくくられます。

バベルの会はこうして復活した。 ___「儚い羊たちの晩餐」320頁




うーん。。。私は読み終わって言葉を失いましたね・・・


 他の4つの短編はラストで一気にひっくり返されるタイプの衝撃があるのに対して、こちらの「儚い羊たちの晩餐」は徐々に不穏な空気が増していき、そのまま結末に至るというような構成でした。
 というのも、この短編には伏線と言いますか、結末を暗に示すキーワードが散りばめられているのです。実は結末を紹介した上述部で「」で示した言葉は全てキーワードでした。そのため、早い人は中盤、そうでない人も蓼沼という地名が出てきたあたりで、結末の予想がつくのではないでしょうか。
 (私は「二壜のソース」「アミルスタン羊」は知りませんでしたが、「メデューズ号の筏」「ザクロの味」でピンときました。それぞれのワードの意味が気になる方は是非調べてみて下さいね!)

 しかしその予想はあまりにも受け入れがたい内容であるので、ページをめくりたくない、でも先が気になるという緊張感を楽しむことができました。私は読みながら、「いやまさかな・・えっ・・えぇ・・・」と思わず呟いてしまいましたよ笑(ただのヤバい人)


 また、ここまで読むと、バベルの会の辿った末路と今後の再生を暗示した「儚い羊たちの晩餐」という短編自体が、「儚い羊たちの祝宴」という短編集全体に対するフィニッシングストロークになっていたという事が分かります。鞠絵の日記を読んだ女学生によって復活したバベルの会は、果たして今度こそ儚い者たちの安息の地となり得たのでしょうか。それとも、再び破滅の途を辿るのでしょうか。想像するのも楽しいですね。


 ちなみに私はアミルスタンという音の響きが気に入ったので、ゲームなどのユーザー名としてしばしば使っていますが、友達に意味を聞かれたときに「〇肉だよ!」という訳にもいかず困っています。これは余談でした笑

まとめ

 はい、という訳で以上が「儚い羊たちの祝宴」の紹介となります。ここまで読んでくださった方は、このタイトルの秀逸さがお分かりいただけたのではないでしょうか。
 本作に登場するお嬢様は皆、物語という幻想を通してしか現実を捉えられない儚くて脆い存在、致命的なまでの夢想家。そんな彼女たちが「儚い羊」だったんですね。そして彼女たちは祝宴において席に着くのではなく、皿の上だったのです。

 この記事を読んで「儚い羊」に興味を持って下さった方、ぜひ本作を読んでみて下さい。ここで紹介しなかった3つの短編のどれも素晴らしいので!


それではこの辺で。

 

余談
 大学のレポートは引き伸ばしを重ねてようやく3000字、一方こちらは削りに削って7700字。不思議なものです。
 次を書くことがあれば、さすがにもう少し短くまとめようと思います。


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