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寺とTOEICと私

TOEICとTOEICer

TOEICと言う英語試験をご存じだろうか。カタカナで書くとトーイックである。就職活動や企業内での評価でも広く使われている試験なので受けたことがある方も多いのではないだろうか。このTOEICと言う試験、満点がなぜか990点というちょっと中途ハンパな点数なのだ。

試験の内容はある程度標準化されており、大体いつ受けても実力通りの同じような点が出るようになっている。コロナ禍では一時的に中止になったりもしたが、今ではまたほぼ毎月1回のペースで実施されている。

ある点数を一回取れば、目的にもよるが少なくとも数年は有効なのだからそんなに頻繁に受ける必要もないのだが、この試験を継続的に受験をしている人も多い。そんな人々はしばしば TOEICer(トーイッカー)と呼ばれている。

この「カー」がつく名前で呼ばれている人達は、ストーカー、ハッカー、ヘビースモーカー、トラブルメーカー、など世の中に迷惑をかけている人種が多い気がするが、トーイッカーは一般的に心優しく善良である。まあ良く考えてみると、世の中には、ムードメーカー、ミランダカーなど、他にも良い「カー」が色々いる。なんの話だっただろうか。そうそう、TOEIC の話である。

こんな私も TOEIC を定期的に受けているのだが、会場の様子が微妙に得点に影響するので、満点を狙うようになってからは、当日までどんな会場に当たるか気になるようになった。試験会場は近代的で綺麗なら良いというものでもなく、大学の大教室や大きな会議場のような会場の時には、リスニングテストの放送が銭湯かカラオケボックスを思わせる大エコーで聞こえてしまい、もの凄い集中力を求められることも多い。

いつも自分の地元で受けていれば、事前にどんな会場か想像がつき心の準備ができることもが多いのだが、集中的にTOEICを受けていた時期には結構アウェイの出張先で受けるようなこともあり、そんな時はどんな会場なのか、到着するまで油断ができないのだった。

出張先でのTOEIC

その回の TOEICは、かなり早くから週末出張で地方都市に泊りになることが判っていたので、出張先の街で受けることにしたのだった。ホテルで目を覚まし朝飯を食った俺は、部屋に戻り出掛ける準備をした。

俺は歯を磨きながら、「しかしもう TOEIC も3年以上は受けてるよなあ。俺が TOEIC を受け始めた頃に生まれた赤ちゃんもぼちぼち日本語をしゃべり始める頃だろうに、俺の英語は進歩ないなあ……」などと感傷に浸りながら、鏡に映った顔の3年分深くなったほうれい線を眺めていた。

すっかり秋らしくなり、なんだか寒い朝だった。俺は上着を羽織ると駅に向った。調べてみると会場に行くには在来線に乗らなければいけないようだったが、駅に付くと、前の電車が出たばかりのようでホームには誰もいなかった。俺はベンチに腰掛け、カバンの中から受験票を出してもう一度会場を確かめた。その街の中学校の名前が書かれていた。

(中学校が会場というのは初めてだな……)

俺が中学生の頃、TOEICなんてあったっけなあ、などと考えているうちに電車がやってきたので乗り込んだ。馴染みのない土地なので用心して早く出てきたせいか、目的の駅につくとまだ時間に余裕があった。俺は目についた駅前の喫茶店に入るとコーヒーと一緒にドラ焼きを頼んだ。

俺は知っていた。最終的に試験の結果を決めるのは血糖値である。俺は喫茶店の堅い椅子に座ると iPod でリスニング問題を聞きながら、乾いたドラ焼きをコーヒーで流し込むようにぐっと飲み込んだ。

(うーん、合わない!)

しかし重要なのは味ではない、あくまで血糖値なのである。しばらくすると血糖値が上がってきたのか、だんだん英語がクリアに聞こえてきた。俺はダメ押しで駅で買ってきたいつもの「リポD」と「ウコンの力」も一気に飲み干した。

時計を見ると受付開始の時間が近づいていた。俺は喫茶店を出るとスマホの地図を頼りに会場である中学校に向かった。

しばらく歩くと小さな学校が見えてきた。よかった、よかった。間に合ったようである。しかし敷地が小さいせいか、いつもの大学等の会場に比べると建物もとても小さくみえる。俺は校門に貼りだされた受験番号を確認すると校舎に入った。だが建物が古いせいか中の廊下が入り組んでいて会場の教室がわかりにくかった。

廊下にいる係の人に教室の場所を聞いても、あわてた様子で何か資料をバサバサと開いては「えとえと」などと言っている。皆、明らかに慣れていない感じである。ここはもしかして臨時会場か何かなのだろうか?

なんとか教えられた通り廊下を進んで行くと、上に黒板消しが挟まっていそうな小さな引き戸型の入り口があり、その横に痩せ気味で眼鏡をかけた、真面目そうな横分けの試験官らしき男性が座っていた。非常に髪質が固そうである。その姿は、むかし音楽室で見た滝廉太郎の写真を思わせた。

俺が受験票を渡すと、廉太郎先生は俺の顔を数秒じっと見つめてから、ゆっくりと写真の下にチェック済みの印のマーカーを引いた。まるで書き初めで漢数字の一を書くような厳かな筆さばきだった。その他の動作も、ひとつひとつの手順を確かめるように実にゆっくりとこなしていた。急遽試験官を担当することになったのかもしれない。一通りの手続きを終え、俺は身分証を財布にしまうとその小さな入り口をくぐり教室に入った。

(せ、せまい!)

特別教室か何かなのか、とても狭い。なんだか天井も低い。そして教室の中には15~20くらいしか机がないのである。まるで離島の小学校の教室のようである。

その机がまた小さい。例の、上が木で下が銀色のパイプのヤツであるが、ほんとに小学校の机ではないのかと思うくらいの大きさなのである。いつも大学の大教室の長机で受験している俺は面食らった。

しかも、先に席についている受験者は体格のよいオッサンばかりで、狭い椅子に体を押し込んだ姿はまるでマリオカートである。しかし、ここまで来たらしょうがない。俺も自分の受験番号が書かれたマリオカートを探して乗り込んだ。机の上には既に解答用紙と受験のしおりが置いてあったのだが、その横に筆記用具や受験票を置くと机がほとんど全て隠れてしまうのである。

(せ、せまい!)

こんなスペースで果たして試験に集中することができるのだろうか。俺は不安に感じながらも、その狭い椅子に身を任せたまま、解答用紙に名前やマークを書き込んだ。

そして、ふと顔を上げると教壇(というか前の空いたスペース)の横に廉太郎先生が背筋を伸ばして立っていた。

(か、かたい!)

腕に黒い袖カバーさえしていないが、風貌が昭和の区役所の人のようである。ガチガチで融通がきかなそうである。関係ないがとても額が狭い。廉太郎先生は手に持った試験前の説明スクリプトのようなものを見ながら、15人のマリオに向かって大きな声で試験の注意をゆっくりと読み上げた。

そしてマニュアル通り皆に携帯電話の電源を切らせると、端から受験票を集め始めたのだが、また一人一人の顔をじっくりと見つめては、「うむ」という感じで頷きながら全員を回り本人確認するのだった。下手すると指差し確認しそうな感じである。

(か、かたい!)

もうさっき入口で見つめあったばかりじゃないですかと俺は思ったが、なんせ教室には15人くらいしかいない。そのぐらい時間をかけないと間がもたないのであろうか。廉太郎先生なりの時間配分なのかもしれない。

そして問題冊子を配る際も、また一人一人、目を見て手渡しである。「卒業証書授与」と言う感じである。狭い空間でそんなことをされると在学中お世話になった気がして、思わずお辞儀をしてしまうので不思議なものである。

そんな訳で試験前から緊張してしまったが、時間になるといつも通りCDプレーヤーのボタンが押され、無事に試験は始まったのだった。

***

リスニング試験の45分間、さすがにこの狭い部屋では音が反響することもなくクリアに聞こえ、試験には集中することができた。続く75分のリーディング試験の問題は文章量もあり、いつも通り速くかつ正確に読む能力が求められるものだった。

いつも試験中は、最初から最後まで一時たりとも集中を切らさない持久力が求められるのだが、今回は出張中で疲れていたこともあってか、途中ふと気がつくと同じ箇所を何度目で追っても頭に入ってこなくなったり、後半は時間に追われて確信不足のまま回答した問題もあり、2時間乗り切った後はヘロヘロの状態だった。

但しその間、廉太郎先生は周りを無意味に歩き回るようなことをせず教壇から我々の姿を温かく見守ってくれており、我々は余計な心配をすることなく試験に集中することができたので助かった。たまに「働いてますよ感」を出すためという訳でもないのだろうが、やたら鼻息荒く歩き回ったりのぞき込んだりする試験官の方もいるが、そこは廉太郎先生、受験者の集中を最重要視してくれていたようである。

そしてなんとか無事に試験は終わったのだった。教室から出ようとすると廉太郎先生は、微笑みなれていない顔に無理やり笑顔を浮かべ「お疲れ様でした」といいながら、15人のマリオの労をねぎらってくれたのだった。これが真の教育者と言うものであろう。

ありがとう廉太郎先生。俺はこれからも頑張るよ。

おわりに

しかし、最近の TOEIC は時間内には解答できるものの、ほぼ全部できたつもりでもどこか間違っていることも多く、ますます難解になっているような感じがする。これは自分の頭のスタミナ不足や老化注意不足現象で相対的にそう感じるだけなのだろうか。まあ、しばらくこれからも TOEICを受けつつ TOEICer の末席を汚させて頂こうと思う。

そんな訳で、TOEIC の試験内容を期待して読んでいただいた方には、全くテクニカルな内容がなく申し訳なかったが、ある男の出張先受験レポートはこれで終わりなのである。

その日、廉太郎先生に頭を下げ会場を後にした俺は、試験疲れでぼーっとした頭のまま、それでも迷った問題の表現を忘れないうちにとスマホで検索しながら歩いていたのだが、気がつくとなぜか霊園のど真ん中で梵字に囲まれていたのである。ただででも肌寒いのにぞっとしちゃったのである。

しかしせっかくなので出口に向かう途中にあった賽銭箱に賽銭を放り込み、若さと持久力が欲しいとお願いして見たのだった。

(そうか、お寺だったのに、柏手打っちゃったな……)などと考えながら歩いているうちに、あたりは急に暗くなりはじめ体が冷えてきた。

俺は誰もいない境内の真ん中で、スマホで位置確認をすると、駅へと向かった。

(了)


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