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【連載小説】絵具の匂い 【第4話】黒オリーブと世話好き夫婦

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絵具の匂い 【第4話】黒オリーブと世話好き夫婦


いつもの忙しい一週間が終わりやっと週末がやってきた。この週末には色々やりたいことがあった。そこで、翌週の授業に備えて読んでおかなければならない本や課題には土曜日の早朝から取り組み、昼までにほとんど片付けることができた。

教科書を閉じ、やれやれと自分の肩を叩きながら顔を上げると先週末彼女にもらい壁に掛けておいた玉ねぎの絵が目に入った。実はこの一週間ずっと、日曜日には彼女に会って何か先週のお礼をしたいと考えていたのである。人間、目標があると頑張れるものである。

俺は先週から机の隅に置いたままだった彼女がくれた電話番号が書かれた画用紙の切れ端を手に取った。すぐに電話をかけたいところだったが、あいにく俺の部屋の電話は料金未納で止められていた。それまで、それほど緊急に連絡を取りたい人間もいなかったこともあり、金回りが良くなるまではいいやと思い、止められたままにしていたのだった。

こんな時に頼りになるのは隣に住んでいるギリシャ人のおっさんだった。また電話を貸してもらおう。正確に言えばギリシャ系オーストラリア人のおっさんであるが、名前はジョーと言った。とても面倒見の良い人で、俺はその頃ジョーに世話になりっぱなしだったのである。

部屋の窓を開け外を見下ろすと、ちょうどよいことに隣の家の庭で、ジョーが黒いパイプを咥えて芝刈り機を押して庭の芝生を刈っている姿が見えた。こんな暑い日なのにいつもの黒いシャツを着ている。

こういう感じの手押しの芝刈り機

ジョーは、ちょっと見ると全盛期のトラボルタを日焼けさせて20歳程老けさせたような顔をしていた。ちょっとウェーブのかかった真っ黒い髪をポマードでオールバックにしており、やや小柄なのでゴジラの息子のミニラにもどこか似ていた。とにかく彫りが深い。エーゲ海くらい深い。そして真っ黒な眉毛と目の距離は限りなく近かった。というか、もはやくっついていた。どこまで煮詰めたらこうなるのかというくらいの特濃顔だった。

***

俺は机の上に散らばった本をそのままに、フラットのドアを出るとジョーの家の庭に向かった。きっとその頃ジョーと俺は少なくとも30歳くらいは年が離れていたはずだったが話しやすい相手だった。

日本で30歳も年上の人と話す時は、何を言われても「ええ、そうなんですよ、ええ、はい、ははは」なんて当たり障りのないセリフだけで答えてしまいあまり話が弾まない場合も多い。気がつくといつのまにか背筋も定規をあてたようにピーンと伸びてしまっていたりする。なかなか対等に話すという訳にはいかない。

しかし、この国では違う。年齢なんか全く関係ないのだ。英語が、敬語のないザ・平等言語だからだろうなあと思う。誰を相手に話している時でも、私は「I」、貴方は「You」である。そして老若男女入り乱れて、ファーストネームで呼びすてにしあう。するとどんな事でも言いやすくなる。俺みたいな青二才がジョーをからかうのもアリだし、全く遠慮する必要がなかった。

ジョーは陽気で気さくなおっさんだったが、非常に面倒見が良く、付き合えば付き合うほど、苦労人なんだろうなと感じさせられた。いつも俺が遊びにいくと、俺を指さし I know you are hungry.(腹へってんだろ)とかいいながら、俺が何か答える前にボール一杯の黒オリーブを冷蔵庫から出してきてくれた。

最初にこのボール一杯の黒オリーブを出された時には、なんだか薄味の梅干を食べ続けているようで、「せっかくならなんかもうちょっと食事っぽいもの、というかせめてもう少し白っぽいものの方がいいなあ」なんて感じたものだったが、毎回食べているうちに好きになってしまった。

黒オリーブ

塩漬けのオリーブだけをひたすら食うだけで、酒を飲む訳でもないのだが、ジョーの家で一緒にテレビを見ながら食べると、いつもあっというまにボールは空になった。

俺はテレビを見ながらなんか判らない英語が出てくるとジョーに、「今なんて言ったの?」とよく聞いた。ジョーは教えてくれることもあったが、「ん?俺も聞いてなかったから自分で調べろ」と答えることもあった。

俺は最初、なんだよ教えてくれてもいいじゃんかと思っていたのであるが、ジョーも移民なのでテレビを見ていて必ずしも全部判っているわけではないようだった。ギリシャ訛りはあっても俺の100倍英語が流暢なので、当然全部わかっているのだろうと俺は勝手に思っていたのだが、しばらく付き合っているうちにそうでもなさそうなことに気がついたのである。

俺はそんなところも含めてジョーを「俺より先にこの国に外からやってきた先輩」という感じで身近に感じて、勝手にひそかに慕っていたのである。そんなこと面と向かって言ったことないけど。

***

ジョーは庭に降りてきた俺の顔を見ると芝刈り機を止めて No school today?(今日は学校ないのか?)と言った。なんだか中学生に戻ったような気分になったが、俺は「今日は部屋で勉強していた」と答えた。ジョーは「それが学生の仕事だ。俺がお前の年の頃は外を歩く時も本を読みながら歩いたもんだ」と、明らかにそんな訳ないだろというようなことを言った。

夏でもこんな黒いシャツを着て胸元から胸毛をのぞかせているジョーはどっから見てもそんな二宮金次郎タイプではないのである。いつも大体口を開けば八割方ジョークで、そういうことを言うたびデ・ニーロのように両手を広げて声をあげて自分で笑っていた。

ジョーは「まあ入れ」と家の中に俺を誘った。ジョーは自宅を事務所にして電気工事の仕事をしていた。このあたりの家は平屋が多かった。でも結構でかい。普通の家にも結構プールがついていた。ジョーの家にもプールがあったが大体オフシーズンは枯葉だらけで池のようだった。

俺がジョーと一緒にキッチンに入って行くと珍しく奥さんのアイリーンがいた。むかしむかし、ダスティン・ホフマンが女装をした映画があったが、あんな感じのデカイ眼鏡をかけたイギリス系のちょっと骨太な栗毛のオバちゃんである。

参考資料:女装時と平時のダスティン・ホフマン

パッと見は上品そうなのだが、一旦話すと結構下ネタも言い、興奮すると四文字言葉(いわゆる swear word=ののしり言葉)も結構使っていた。この国のオバちゃんにはそう言う人が多かった。この国の女性は皆あまり気取らず、さばさばして明るい感じである。

アイリーンは近くのガーデニングの店で昼間働いているのでてっきり今日も留守だと思っていたのだが、その土曜は非番(刑事か)のようで家にいたのだ。

アイリーンは俺の顔を見ると Have you had lunch, yet? (昼ご飯食べた?)と聞いてきた。この頃は会う人会う人が食べ物を勧めてくれるので、「俺そんなに腹ペコに見えるんだろうか」と思ったのだが、それがこの街のスタイルのようだった。俺が Not, yet.(いえ、まだです)と答えると、サラダと鳥のサンドイッチみたいなものを作って出してくれた。

この家には女の子が二人いたが両方とも友達と出かけているという。上の子がアイリーンの連れ子で、イギリスの血を引くそばかす娘、下の子はこの夫婦の間に生まれた子でギリシャが入っているので褐色エキゾチック系だった。仲のいい家族だったが、家族の中でジョーだけ男なので、何かを決める時はいつも女性陣の多数決で決まってしまい、ジョーの意見は一度も採用されたことがないようだった。この辺はどの国でも同じなのだろう。

俺はサンドイッチを食い終わり、その皿を洗って、三人分のコーヒーを入れた。もうこの家のキッチンの事は全部わかっているのだ。もうこの頃は、何かごちそうしてもらったら、片付けはするというような礼儀は身についてきていた。日本の感覚では人の家のキッチンで食器を洗うなんてのは逆に失礼そうな感じがするが、この「ごちそうになったら片付けは全部やるシステム」はいいなと思っていた。この辺の事は既に周りのおじさん達の行動から学んでいたのである。俺は食器を洗いながら「俺もこの国の習慣にけっこう溶け込んできたかな」なんて感じたのだった。横ではアイリーンが果物を切ってくれていた。

俺は牛乳をドバドバ入れお稲荷さんのような色になった薄いコーヒーを飲みながら、アイリーンの話す娘たちのボーイフレンドの話などを聞いた。アイリーンは一度話し出したら止まらない。

俺も、授業についていくのが大変なこと、準備に時間が足らずバイトを止めたこと、でも友達も増えてきたことなどを話した。そこで俺はやっと当初の目的を思い出し、市内なんだけど電話を貸して欲しいと頼むと、ジョーが Why not, go ahead! (もちろんいいよ、どうぞ)と答えた。

ちなみにこの「Go ahead」という言葉「どうぞ、そうしてください」という意味だが、この国に来て初めて言われた時にはびっくりしたのを思い出す。なんか「どっか行け!」みたいな意味かと思ったのである。フードコートのようなところで、「ここに座っていいですか」と言ったら Go ahead と言われ「失せろ!」と言われたのかと思って、他のテーブルの空いている席にを探して座ったのを思い出す。なんか相手がタトゥーをしたごついおっさんだったからなおさらそう思ったのかもしれない。ホントは優しい人だったのだろうに。

ちょっと話がそれたが、俺はポケットから電話番号の書かれたメモをとり出しキッチンの隅に置かれた電話の前に座りダイヤルを回した(ダイヤルを回す!ふるー)。呼び出し音が終わり電話に出たのは幸いな事に彼女だった。

俺は先週のお礼を言い、「もし明日時間があれば昼飯を食べないか」と誘ってみた。お礼に今度は俺が招待したいと言いたかったのだが、なんかそういうことをどう言ったらスマートなのかわからないので It's my shout.(俺のおごりです)なんて言ったのである。誘う時点でそんなこと言うのは今考えると我ながら実にダサい。しかし彼女は、I would be happy to.(よろこんで)と答えてから少し考えると But, why don't you come to my place first. I have an idea. (でもちょっといい考えがあるのでとりあえずうちにきてよ)と言ったのだった。

ふと気がつくとさっきまで二人で話していたジョーとアイリーンの声がしない。ちらっと振り向いた俺はビクッとした。ジョーとアイリーンがいつのまにか不自然なほど近くに寄ってきており、さりげない感じで静かに座って俺の話を聞いていたのだ。あーびっくりした。ほんと、ヒマ人なんだから。

ま、とにかく俺は彼女と翌日の時間を決めると電話を切った。俺が電話を切ったとたん、アイリーンが何かの用事があるような感じでそそくさと庭の方に行き、ジョーが俺に向かって「ガールフレンドか?」と言った。俺は「いやいや親切な友達だけど、そういうんじゃないんだよ」と答え、前の週末に彼女の家に行ったのだが、食事を作ってくれたり絵をくれたりしたのだと言った。

するとジョーは勝手に遠い目をして、「お前は全くわかってないな」みたいなことを言いだした。そして「人生はいつもシンプルなものだ」と言い、何か若い時分の恋愛話を熱く語り始めたのである。これ、癖なのである。明るいラテンの男のくせして、急にどこを見ているんだというくらい遠い目になったりするのである。だいたい、なんでも哲学的な話に持っていき You know? That's life!(わかるか?これが人生ってもんだ)とキメ台詞でしめるパターンが多かった。

この時も、「ギリシャ風味恋愛論思い出話添え」を展開した後に、俺に「お前は女のことがわかってない、女ってのはもっと単純なものだ」と言った。

するとそこにちょうどアイリーンが戻ってきて Joe, women are what?(ジョー、女がなんだって?)と言った。ジョーは背筋を定規のようにピーンと伸ばすと、I said "Men make houses, women make homes".(男は家を作るが、女は家庭を作る)、女は偉大だなと哲学の話をしていたんだよと、なんか良くわからない適当なことを言って、俺の方をちらっと見るとちょっと舌を出してウィンクした。

***

とにかく、俺は無事に彼女と約束することができた。俺はその後、サンドイッチのお礼にと、ジョーの家の庭に水をまきながら彼女のことを考えた。なんだか心の底が少し暖かくなるような不思議な気持ちがした。そしてジョーの「お前は女のことがわかっていない」というセリフを思い出した。

彼女はずいぶん親切だが俺のことをどう思っているのだろうか。日本人が珍しいだけなのか、それとも少し気の毒な人に対する博愛精神なのか .….. いや、もしかしたらちょっと気になる男にランクインしたなどということもあるのか …...

ジョーの家の庭の花でも摘んで花占いをしたいところだったが、あいにく庭にあるのはラテン男が好きそうな大振りの花ばかりで、ひな菊のような占い向きの花は見当たらなかったのだった。


つづく

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