機械は人に優しくなった

仕事を終え帰宅準備を済ませると、私は1分でも早く会社を去ろうと立ち上がる。
フロアに2つしかないエレベーターのうち1つが、同じく帰ろうとする社員の列をちょうど飲み込むところだった。
私はその列の最後尾に並ぶと、運良く乗り込む。

ほとんど閉まりかけたエレベーターのドア。
その隙間を縫うように同僚の1人が滑り込んだ。
細身ゆえの身のこなしか、身体もバッグもどこもぶつけることなく魅せた見事なまでの駆け込み乗車。
思わず私は小さく「おぉ〜」と声が出た。

エレベーターに既に乗っていた社員からは、「もうちょっと遅かったらぶつかってたね!」と心配する声があがる。
ベテランの技術職の方がその声を受けて少し考えると「でも今のエレベーターは昔と違って、ぶつかったら挟まれる前にドアを開けてくれるんだっけ?」と首を傾げる。
他の全員が想像しながら、「たぶん」と同意して頷く。

彼女は感慨深そうに「機械は優しくなったのねぇ……」と言った。
その言葉に何故だか、技術者として我が子の成長を喜ぶ愛のようなものを感じて、思わず私は「本当ですねぇ」と声に出した。
頭の隅で、技術の進歩が人に対する機械の優しさを向上させた一方で、私たち人間の優しさは向上しているだろうか、などと斜に構えた考えも頭をよぎる。
皆、エレベーターが着くまでの短い間わずかに逡巡し、「ありがたいなぁ」とか「昔の機械はせっかちだったよなぁ」などと口にした。

分野は違えど、その場にいた皆が一応は科学の発展を生業にしている研究員だ。その進歩が「優しさ」として世間に滲み出ることを改めて思い出し、誇らしく思ったかもしれない。

日々の業務は煩瑣で、モチベーションを維持するのは難しい。
私にとっての今日のように、時間をかけていたことがうまく行かなかった時などはなおさら。
それでも自分の動かす手の向こう側に「優しさ」があると思うと、せめて腐らずにいられると思う。


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