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「風と共に去りぬ」考ー「僕の欲しいのは君の魂だ」と言ったレッド・バトラーに夢中だった❣️

                      (冒頭写真はeiga.comから転載)

いまだにこの本を読む人がいるだろうか?こんな古典的な恋愛劇に感動する人はまずいないだろうと思いつつ、書いておきたい。私の恋愛観の原点だから😅


高校生の時、徹夜で読んだ。昔、河出書房という出版社が出していたグリーンブックというシリーズがあって、何度も読み返した。高校生までを過ごした田舎町の映画館にこの映画がやってきた時は、朝から入場し、続け様に3度見た。

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高校の時に読んだのはこのグリーンブック

                (写真はpage.auctions.yahoo.co.jpから転載)

何がよかったかって?ただただクラーク・ゲーブル演じる「レッド・バトラー」

作品の書かれた1936年の時点で、「スカーレット・オハラ」という主人公の女性を「自力で生き抜く強い女」という設定で描いた作者マーガレット・ミッチェルの先見性を評価する論調ーフェミニズムの先駆けといったーがあったけど、当時の私にはバカな女としか思えず、スカーレットにはまったく感情移入出来なかった。

でも当時大勢の女性は、この型にはまらぬ自由奔放なーあらゆる規範やモラルを蹴散らすースカーレットを愛したようだ。それはきっと、その当時の女性たちは「女は抑圧されている」という意識をもっていたので、スカーレットの奔放さに強い憧れや共感を感じたからだろう。

レッド・バトラーもその奔放さも含めて彼女のありのままを愛していた。
だから私は、レッドという男性の方に惹かれた。自分に従わせるのではなく、本来の彼女そのままをーその彼女の無知さ加減も含めてー許容する彼に惹かれた。

その頃の日本の男性が女性を一段低い者として差別的に見ていたことを思えば、絶対そんな男に出会いたいと思うはずだ。

なんと言っても、詳細は忘れたけど自分に関心を示さないスカーレットにレッドが怒りを爆発させて

「僕が欲しいのは君の肉体ではなく、魂なんだ」(記憶の中では確かこんなセリフだったと思う)

と叫ぶシーン。この言葉が私の恋愛観の基本になった。

高校が女子校だったので、男子生徒と触れ合うこともない3年間を過ごした。その後入った大学は男子学生が多数を占めるダサい学校(当時そう思っていた。相手方も田舎出のイモ姉ちゃんと思っていたことだろう)で、私のそんな思いに応えるイイ男に出会うこともなかった。

本の中に存在する恋愛しか知らない私の恋愛観はいかにナイーブであったか。その時は認識していなかった。でもそんな人に出会いたかった。心の中にいるレッド・バトラーと比べてしまい、どうも現実の男たちには関心が持てなかった。これが私の初恋だったかもしれない。

「私の魂が欲しい」と言って、そのままの私を愛してくれる人など存在するのだろうか?そもそも、私の魂、どれほどのものなんだ、とだんだん懐疑的になってきて・・・。理想と現実を認識するようになった。

本の中のレッドは、最後は心が折れてしまい(?)、「割れてしまった花瓶はもう元には戻らないんだよ」と言い残して去っていく。

スカーレットは、レッドの愛に気づくのだが遅すぎた。でも彼女は「明日になればきっとレッドを取り戻せる」なんて脳天気なことを言って物語は終わる。

後日談が作られて映画化もされたようだけど、見たいとは思わなかった。

ところで、私、レッド・バトラーに出会えたのかしら?


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