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今日ときめいたこと109ーヨガって奥が深い!

10年以上ヨガをやっている。でも私のは「なんちゃってヨガ」だから求道者のように熱心に取り組んでいるわけではない。週一でヨガをやったら次の回までは特に練習するわけでもない。ヨガに関わる本を読んだことも、さらに知識を深めることをしたこともない。ただ先生に言われたことをその時々で体現しようと格闘しているだけ。

一人の先生のもとで10数年以上学んで(?)いる。この先生こそ求道者のような人である。ヨガを愛し、その思想を学び日常生活の中でも実践している。ヨガ愛が伝わってくる人である。

でも、なんちゃってヨガ修行者でも気づいたことがある。ヨガは筋トレやストレッチのように体を鍛えることだけをめざしているのではないこと。意識と身体それに呼吸に関わるものだということだ。先生が毎回言われるのは「今この瞬間に意識を集中しなさい。過去や未来のことを思い煩うことなく、今の自分にできないことがあってもそれを評価することなく、そのままを受け止めなさい」ということである。

いわゆるマインドフルネス(「今この瞬間の体験に意図的に意識を向け、評価をせずに捕らわれのない状態で、ただ観ること」Wikipedia から引用)と言う考え方だろうか。

10年以上やっていても一つのポーズができたと言う実感はない。本当にこれでいいのかという疑問が残る。例えば「タダーサナ」というポーズ。直立不動のポーズなのだがただ立つのではない。頭、あご、肩、背骨、お腹、尾骨、恥骨、内股、太もも、足の親指、小指、土踏まずに意識を向け、正しい位置が保てているかを確認して立つのである。下図を見ればイメージしやすいだろうか。

タダーサナ    (ヨガジャーナルオンラインから転載)

ここで思い出すのは前作の記事(今日ときめいた言葉108ー「意識は身体を決して統御、把握しきれない」である) 。でも、ヨガでは意識を持ってある部位の筋肉を動かそうとする訓練をする。いわゆる筋トレなどで鍛えているのは表面の筋肉だが、ヨガでは体の奥にある筋肉=普段は動かさないだろう筋肉に意識を向けそれを動かそうとする。

だが、どんなに言葉で言われてもその情報で指示された筋肉を動かすことは至難の業である。体でそれを知る=体得するということは、まるで悟りを開くようである。できたという実感がないのである。

でもヨガの考え方は理にかなっているとも思う。例えば、「シルシャーサナ」というポーズ。いわゆる逆立ちなのだがこのポーズには意味がある。人間の体は絶えず上から重力を受け内臓も下に下がる傾向にある。だからこのポーズをすることで重力から解放し、内臓にかかるストレスを解消する。このポーズをした後はスッキリした気分になる。このポーズも肩から首を開放して背中を真っ直ぐにし、肩と腕を固定して上がるのだが、このように立っていられるのは足の強い力だそうだ。

シルシャーサナ    (YOGA picksより転載)

こんなふうに毎回それぞれのポーズをする時に指示された部位の筋肉を動かそうと意識を向ける。漫然と動きをするのではなくその部位に注意を集中する。修行を積めば意識で筋肉を動かせるようになるという。少なくとも先生はできている。

最後は、「シャヴァーサナ」(屍のポーズ)というポーズをして終わる。私の一番好きなポーズである。身体中から力を抜いて、緊張している部位があればそこを解放する。時々眠くなってしまうがこれではいけない。意識は覚醒していないといけない。自分の体から力が抜けていくのを感じながら。

シャヴァーサナ   (ENYOGAから転載)

ヨガでは、自分の身体の動きを理解することを知性と言うそうである。未熟者の私はホームで電車を待つ時、信号待ちしている時、せめてタダーサナで立つように心がけている。



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