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今日ときめいた言葉88ー「私たちは過去から解き放たれるために、過去を知らなければならない」(続)ー保存されていた患者8002人分のカルテ

(タイトル写真は、www.amazon.co.jp から転載)


(2023年10月27日付 朝日新聞「現場へ!」埋もれた実態 語るカルテ)


この記事は、「戦後復員してきた元日本兵のPTSDによる暴力の連鎖が現在にまでつながっている」という以下の記事の続編である。

表向き日本軍は、日本の兵隊にそのような精神を患う軟弱な人間はいないと否定していたが、実際は千葉県にあった国府台(こうのだい)陸軍病院に収容して精神神経症などの兵士の治療を行っていた。その数1万人以上と言われる。

敗戦時、カルテの焼却を命じられたが、元軍医少佐で国府台の幹部であった浅井利男氏がカルテをドラム缶に隠して埋めていた。

1980年秋ごろ、そのカルテを持ち出すべく自身の病院スタッフに打ち明けた。国の資料ゆえただ持ってくるわけにもいかないということで、コピーをしては戻すを繰り返し、およそ6年ほどかかってコピーしたカルテの数は8002人分。700冊の冊子にまとめられ、浅井病院の資料室に保管されているという。

カルテが廃棄されなくてよかった。歴史の真実や旧日本兵の苦しみが無かったことにされなくてよかった。このカルテは研究者達の研究を大きく前進させる貴重な資料となったという。

カルテや他の資料を照合するとPTSD(心的外傷後ストレス障害)に苦しんだ患者は、戦時中で少なくても数十万人に上る可能性があるという。時間が経って戦後に発症する人も多く総数はさらに増えるという。

研究者の中村江里准教授は2018年研究成果を「戦争とトラウマ」という著書にまとめている。同じ年、元兵士の家族が「PTSDの復員日本兵と暮らした家族が語り合う会」を作った。

長い間見過ごされてきた日本兵の戦争トラウマ

「ようやく、多くの証言を聞けるようになった。まさに、時代が動き出した。戦争は、今も終わっていないと実感する」

と記事は締めくくられている。

敗戦からどれほどの歳月が経ったことか。1980年にカルテが日の目を見るまでにすでに35年が経っている。そして心を病んだ兵士の家族が会を立ち上げてその痛みを語り合えるようになった2018年までには73年も過ぎている。その間多くの元兵士はその苦しみを語れず、理解されずこの世を去っている。それなのに、

「戦争に関わりのない世代に謝罪を続ける宿命を負わせてはならない」

などという日本政府の戦後70年談話。この意図するものは何なのか。私には国の誤った戦争に駆り出され犠牲になった人々の苦しみを無かったことにしようとの意図を感じる。犠牲者に対する敬意も贖罪意識も感じられない。こんな国のために命を落としたり、人生をメチャクチャにされたのである。日本政府に対して憤りと共に羞恥心を感じる。

その上、この談話に63%の人が「共感する」とまで言わせたのは、「加害体験を継承する意味を教えず」「不都合な過去を教えず」「政治意識の醸成をさせず」、長い歳月をかけて国民の意識に国家の意図をすり込むことに成功したからであろう。

「私たちは過去から解き放たれるために、過去を知らなければならない」のに
これからも日本政府は永遠に過去から解き放たれず、謝罪し続けることになるだろう。


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