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夢は忘れた頃に叶う

2008年、当時18歳だった私は地球の裏側のアルゼンチンの愛に溢れた家庭で多感な時期を過ごした。

いつまでもラブラブな両親と三つ子のように仲良しな兄弟(上から女17・男16・男15)、それから大きな黒いラブラドールと小さい三毛猫というのが、その家族の構成だった。それに日本からやってきたスペイン語も喋れない私。

それだけでも充分賑やかなのに、家の扉はいつでも開け放たれていて、夕方になると親戚やら近所の友達やらが代わる代わる自由に訪ねてきては、寝食を共にした。はじめの頃こそ、誰が家族で誰がそうではないのか目を白黒させていた私だったが、次第にそんな区別はここでは必要のないことに気がついた。

ホストマザーはいつも家族の人数分+αの食事を用意していた。「いつ誰がうちに食べに来ても困らないようにね」とウインクしたときの彼女の愛らしさを私は一生忘れない。典型的な日本の核家族で育った私にとって、毎日異なる顔ぶれと囲む食卓は新鮮で刺激的なものだった。恋や仕事、夢や人生、様々な会話が飛び交うこの食卓で私は少しずつスペイン語を覚えていった。

日本に帰国し、大学生になった私は都心のアパートで一人暮らしをはじめた。狭い長方形のそこには食卓という概念すらなかった。誰かと一緒に暮らす、食卓を囲む、たったそれだけのことが簡単には手に入らないものだとは知らなかった。孤独感に苛まれた私は一緒にご飯を食べてくれる人を求めては夜の街を彷徨った。

それから10年。紆余曲折あって現在、私は関門海峡に面した北九州の古き良き港町、門司港でシェアハウスの運営をしている。気の合うシェアメイト達や遊びに来てくれるゲストさん達のおかげで和気あいあいとした毎日を送ってる。

先日は定期近況報告会のために、近所の移住仲間を夕食に招いた。最初は私と彼とシェアメイトの3人で晩酌をしていたが、ひとりまたひとりとご近所さんやシェアメイトが増えて、最後は随分と賑やかな食卓となった。

その時は今日も楽しいなーという満たされた気持ちでいっぱいだったけれども、寝る前にふと写真を見返して既視感があることに気がついた。

年齢も職業もバックグラウンドも異なる人たちが集う賑やかで偶有性に満ちた食卓。それは私がアルゼンチンで当たり前のように経験していた日常であり、孤独な大学生だった私が渇望していたものだった。今ではすっかり日常となってしまって忘れていたけれども、私は知らないうちに私の夢を叶えていたのだ。

もちろん私ひとりの力ではない。他者と共に暮らしたい、他者と共に食卓を囲みたい。小さな灯火のようなささやかな願いを消えないように守り続けてきたこと、そんな私の灯火を受け取って大きくしてくれた人達のおかげで今この時間この場所がある。すごい奇跡の積み重ねの中で暮らしているな、と改めて思った。

共に暮らす人、共に食卓を囲む人々は家族だけに限定されない。むしろ、食卓を一緒に囲んだ人達とはし"家族"のようなものにはなれる。

夢が叶っても私の想いは変わらない。アルゼンチンで暮らした頃からずっと大切に抱えている私の原石のような想いだ。これからもその想いは色んなかたちで表現し続けたいし、門司港ヤネウラはそのためのひとつの舞台だと思っている。

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