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こんな真冬にトマトかよ

師走も半ばを過ぎた。世の中の皆がそうであるように、近頃の私は仕事でもプライベートでも得体のしれない忙しさに殺されそうになっていた。

この冬はじめての小雪が舞ったその日も私は夜遅くまでリビングのこたつでパソコンに向かっていた。ぬくぬくとしたこたつにそぐわぬ私の殺伐とした空気を感じたのだろうか。対面に座っていた彼がさっと立ち上がって、暗がりの台所の方へと消えていった。彼が台所とリビングを隔てるドアを開けたので、ひんやりとした空気が流れこんだ。
 
彼とは一緒に暮らし始めて丸6年になる。籍は入れていない。喧嘩をしないわけではないが、根が優しく穏やかな彼のおかげで、気分屋の私でもそれなりに仲良くやってきた。5分ぐらい経っただろうか。私が増えない文字数とにらめっこしているあいだに、彼はそっとリビングに戻ってきた。

「みーちゃん、切ってきたよ」

そういって彼が目の前に差し出したのは、見事なまでに真っ赤なトマトだった。この季節にはそぐわない肉厚の大きなトマト。それをぶつ切りにしたものが、みずみずしく白い皿の上に乗っていた。

唐突なトマトの登場に思わず目が点になった。いつ振りだろうか、私の大好きな真っ赤なトマト。しかし、体を冷やすから今はなるべくなら食べたくないなあ、とも思った。私は極度の冷え性だったから、特に冬は食べるものには気を付けていたのだ。こんな真冬にトマトかよ、と思わず突っ込みたくなる気持ちを抑えて、私は彼に尋ねた。

「このトマトどうしたの?」

いつもと同じのんびりとした調子で彼はにこにこと答えた。

「みーちゃんがトマト好きだから」

そこで思い出されたのはこの夏のくだらない喧嘩だった。私たちカップルは仲はいいのに、二人ともボランティアの延長のようなものを仕事にしているので、てんでお金がない。仕事は好きだしやりがいも感じているけれども、生活に余裕がないことで私が度々不安になり、悠長に構えている彼に当たり散らしては険悪になることがよくあった。そのときの喧嘩も、「トマトを毎日食べられない」という私の不満が爆発したことで起こった、今思えば意味不明なものだった。

私はトマトが大好物で、子どもの頃から夏は毎朝トマトを丸かじりすることを楽しみにしていた。しかし、この夏は相次ぐ自然災害の影響かなにかで、夏野菜の値段は高騰し、トマトは1玉300円近くまであがっていたのだった。とてもじゃないけど、いまの私達の経済力では毎日トマトは買えない。

「そんなに好きなら、毎日買えばいいじゃん。買えないわけじゃないんだし。」と拗ねたように彼は言ったけれども、そういう問題じゃなかった。あの時、私はトマトひとつさえ悩まずには買うことがきない私達の生活力のなさに苛立っていたのだった。裏を返せば、食卓に毎日現れるトマトは、私にとって安定と満ち足りた生活の象徴だったのだ。

きっと彼はそのときの幼稚でめんどくさい私の我儘をおぼえていたのだろう。そして、トマトが私にとって何か食べ物として以上の意味を成すと察したのだろう。最近お疲れモードだった私に何かしてあげようと思って、彼が師走のスーパーで買ってきたのは甘いチョコレートでもなく、温かい紅茶でもなく、季節はずれの真っ赤なトマトだった。

「わあ! ありがとう。立派なトマトだね」

そう言いながら、私は密かに胸を撫で下ろした。ああ、先に文句を言わなくてよかったと思ったのだ。いつもの私だったら、「え、なんでトマト買ってきたの?」とか何の悪気もなく言い放ってしまっていた。そうやってまた、彼の素っ頓狂な優しさを台無しにするところだった。
 
優しさというのは望んだかたちで得られるとは限らない。予期せぬタイミングで、思わぬかたちをとって舞い込んでくることもしばしばだ。変化球でとんでくる優しさに気づけるかどうか、さらには受け止められるかどうかこそが、何気ない生活の幸福度をちょっぴりあげるコツなのだと私は肝に銘じた。
 
中には「相手が望むことをしてあげること」が優しさだという人もいる。一理あるとは思うけれども、それはあくまでも与える側の倫理であって、与えられる側から出た言葉ではないんじゃなかろうか。

もちろん、実家から送られてくるセーターや、励ます目的でセッティングされた飲みの誘いなど、ありがた迷惑といった類のものも時にはある。それでも、その「行為」をしようと思った相手の動機にまで思いを馳せることができれば、きっと世界はもっと優しくみえるはずだ。それに想像もできなかった角度からの優しさは見過ごしにくいし、新鮮な驚きも加わってずっと印象にも残りやすい。

そのあと、口に含んだトマトは文句なしに甘くて、満ち足りた生活の味がした。よく冷えていて、体の芯までひやっとさせたが、こたつの熱で緩みきった私の脳へのちょうどよい刺激にもなった。真冬のトマトとしてもたらされた彼の優しさのおかげで、私は今夜も頑張ろうと思えたのだった。

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