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創作童話『誕生日』 #シロクマ文芸部


誕生日の朝。



6月に梅雨入りして、その日もシトシトと雨が降っていました。
ユメの気持ちは憂鬱でした。
雨だから、というのもありますが、それだけではありません。
その日はピアノのレッスンがあったのです。



「せっかくの誕生日なのにレッスンがあるなんて。」
ピアノのアサイノリコ先生は、とても厳しい人でした。
練習せずにレッスンに行くとすぐにバレて、途中でも「帰っていい」と言われます。
ユメはアサイ先生が笑うところも、ほとんど見たことがありませんでした。



それでも、やさしすぎる先生だと上達しないから、という理由で、お母さんはレッスンに通うように勧めます。
ユメも、同級生で同じくらいのピアノの上手いサユリちゃんに負けたくないという思いから、気持ちを奮い立たせてアサイ先生に習うのでした。



けれど、年に一度の誕生日。
その日くらいはピアノのことも忘れて、伸び伸びしたい気持ちでした。
「帰ったらケーキが待ってるよ。」
ニコニコ顔のお母さんに見送られて、ユメは仕方なくレッスンに向かいました。


アサイ先生は、自宅でピアノ教室をやっていました。
薄いグリーンの屋根の家は可愛らしく、庭も丁寧に手入れされていました。
見かけによらず花が好きなのかな、とユメはアサイ先生の家の庭を見るたびに思います。



アサイ先生の家までの道のりでは、ところどころで紫陽花が見事に咲いていて、雨粒に濡れた花びらは生き生きとしていました。
紫陽花も誕生日を祝ってくれているような気持ちになり、ユメの心も少し明るくなりました。



その日もいつも通り、厳しいレッスンが行われました。
誕生日だからと言って、容赦はありません。
ちゃんと練習していったものの、楽譜の読み込みが足りないと言われたり、弾き方も何度も注意されました。
そもそも私の誕生日なんて知らないか、とユメは少しだけ悲しくなりました。



お手本で、アサイ先生がピアノを弾くこともあります。
ユメは先生のピアノが好きでした。
どれだけ厳しくても、先生の奏でる音を聴くと、心の奥の憧れと尊敬の気持ちがふるふると震えるのです。
直接伝えたことはありませんでしたが、ユメはいつか先生のようにピアノを弾くのことが目標でした。



レッスンを終えて帰りの挨拶をすると、アサイ先生が紙袋を手渡しました。
びっくりしたユメは、なんだろう、と中を覗いてみました。
綺麗にラッピングされた袋が入っていて、中身は分かりません。
「今日がお誕生日だと聞いたので。」
それ以上は言わず、先生は、来週も待っていますね、といつもの挨拶をしました。



「ただいま!」
家に帰ったユメは、それだけ言うと自分の部屋へ行き、アサイ先生がくれた袋を開けてみました。
それは、折り畳み傘でした。
水色の地に、白いレース模様が施されていて、柄の部分は薄い色の竹になっています。
「わぁ、可愛い傘!」
水色は、ユメが1番好きな色でした。
こんなにお洒落な傘は初めてです。



見ると、袋の中には傘の他に小さな封筒が入っていました。
開けてみると、クマと大きなケーキの絵が描かれたバースデーカードでした。
Happy Birthdayのロゴの下に、綺麗な字でメッセージが書かれています。
「いつもレッスンを楽しみにしています。雨の日でもこの傘で気持ちが明るくなりますように。」



おめでとう、の言葉はありませんでしたが、あの厳しいアサイ先生がこんなに素敵なプレゼントを用意してくれていたなんて、とユメは胸がいっぱいになりました。



憂鬱なスタートだった誕生日は、ユメにとって特別な日になりました。


おしまい

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今週も、小牧幸助さまの企画に参加させていただきました。


毎週楽しみにしている企画です☺️

読んでいただきありがとうございました。


あむの

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