The Matrix Resurrectionsを観て

始めに、私はSFについて明るいわけでは無いし、SFマニアでもなく、誰でも見たことがあるような有名な作品を見ているわけでもない。自分が観たいと思って観た作品の知識(それもかなり浅い)での考察である。
あと、私はよく話が脱線します。
あとネタバレ注意です。

初めてマトリックスを観たのは、おそらく9歳の時。
きっと家族で映画館で鑑賞したのだろう。
覚えてるのは4年後の2003年に放映されたリローデッドそしてレボリューションズ。
リローデッドについては思い出がある。

公開された年は13歳でちょうど中1だったと思う。その時何となく付き合ってた彼女に付き合ってもらいリローデッドを観に行ったけど、彼女は緊張してたのか、普段学校で会う時と違って無口で俯き加減だった。
今思えば緊張してたんだと思うし、もしかしたら俺が遅刻したことに怒ってたのかもしれないし、僕の私服がクソダサかったのかもしれない。
確実に言えることは俺も口下手で話し下手で退屈にさせてしまったであろうことだ。ごめんね。
そんなことにも気が付かないくらい女の子のに興味がなかった。と言うより、女の子に対して興味があるのはスケベなことだけだった。
そもそもマトリックスの1作目を彼女は観ていたのだろうか。

そんな微妙な雰囲気のまま上映が始まったマトリックスリローデッド。
ザイオン、そして人類の危機を目前に一旦帰還するネオ達。
束の間の休息にいちゃいちゃするネオとトリニティー。
デストピアの洞窟で艶かしく踊る人々。
ちょっと露出があってナイスバディな女の人を見るだけでも多感な中坊には刺激的。
しかしこの後にネオとトリニティーの濡場。
こんなシーンがあるとは思ってもおらず、なんだか勝手に彼女を意識してしまってドキドキしてしまう初心なチェリーボーイの僕。
ミニスカートの彼女の脚が、スクリーンからほのかな光を反射してたまに見えるのが何だか気になる。
ドキドキとムラムラ、そしてこんなことで反応してたらみっともないと自分を律しようとする見栄と思春期特有のカッコつけにより煩悩滅却を求めてスクリーンとそこに映る物語に集中。
うわー!どうなるんだ!やばいじゃん!と思わせるところで終わった第2作に興奮と第3作への期待を抱き、彼女のことも大して気にかけずに映画館の近くのショッピングセンターへ。
彼女と話が弾まなすぎて、欲しかったエミネムのCDを買って早々に帰路についたことを覚えている。

そんな時期から18年の年月を経て公開された第4作目、マトリックスリザレクションズ。
鑑賞前日に過去3作品を観て復習を済まし映画館へ。

復習しといて良かったと思える演出と展開が盛りだくさん。
前3作品はひたすらにディストピアで、シリアスで、独特のホワイトバランスというか、独特な色味の映像であった。
しかし今作は、時代が進んだこともあり、またお気に入りのドルビーシネマで観たこともあり鮮やかな色合い。
今風な見た目の登場人物達と個性豊かな衣装。
人種も様々だなと思ったが、思えば過去3作品でも様々な人種が登場していたので、元々進んだ価値観の映画だったんだなと感動。
マトリックスを観て感銘や影響を受けた人達が、好き勝手に引用したり解釈したり感想を述べているシーンでは少し皮肉に感じた。
これは自分が根暗だからそう捉えてしまうのか、それともこの人たちは純粋にマトリックスファンなのか。

ネタバレになるが、この時代のトーマス・アンダーソンはマトリックスという超有名なゲームを開発したゲームデザイナーとして生活してる。
そのゲームは伝説であるが、あの超大作がゲームになってしまったのかという悲しさを感じた。
(個人の意見として、決してゲームを馬鹿にしてるわけではない。ゲームは時に映画よりも没入感やディティールの多さから、映画やドラマからは受けれない感動を与えてくれる。ただ、なんか今作を観て受けた印象としては、あれがゲームになってしまったのかと悲しくなっただけ。)
そしてそのゲームとしてのマトリックスを好きに語る人々によって、マトリックスが作品として芸術として物語として、様々な観点からぞんざいに扱われ、作者が伝えたいメッセージもあくまでフィクションとして軽視されてるのではないか。この演出にはそんな悲しい印象を受けた。
これはマトリックスを観て影響を受けてきた現代の人たちへの文句なのではないかとも思った。あくまで個人の意見。

また、過去3作ではなかったコメディ的な要素が要所要所に取り入れられていて、懸命にそしてシリアスに話を理解しようとするのにその感情を揺さぶられる。そして笑った。

まずモーフィアスがちょっとおちゃらけてることが面白かった。過去作品で、作中では60年前、超絶信念揺るがない堅物男だった反動で現代ではおちゃらけてしまったのではないかと思えたら余計におかしく思えた。
また、ネオがかつての力を取り戻すまでに時間がかかること。これに関しては別に自然に思えたけど、大量のボットが攻め込んできたときに、仲間の1人が「空飛べるか?」と聞いてきて、飛べなかったシーンなんかは笑えた。
アクションシーンでも乱闘戦が多く、何となく18年前みたいなアクションができないから皮肉めいたコメディ要素も取り入れたり、乱闘にして誤魔化したりしてるのかなと思うと、ちょっとほっこりした。

新登場のアナリストは女性差別発言が多いことが気になったが、ラストを観てもらえるとスカッとするでしょう。
女性と様々なセクシャリティを受け入れて自由な世界を作るということも良いし、後半はネオを支えてきたトリニティの方がカッコよく、女性としての強さも感じた。

結局のところ、作者は、そしてこの作品は何を伝えたいのかは僕にはわからないが、
途中にエグザイルとして登場したメロビンジアンが、現代のエンタメに毒づいていたシーンも踏まえると、
もし、マトリックスに影響を受けてなにか作品や新しい技術を作ってる人たちがいたとして、その作品や技術が粗雑なものだったりして、
そんなモノが世の中に氾濫していたのだとしたら、、、
そういったことに対して、4作目を産んだことにより、社会現象にまでなった偉大な過去3作品の世界をぶち壊し(ゲームだった設定や、今作でコメディ要素や皮肉を取り入れ)視聴者たちの好きにさせないという目的があるのではないか、という考察がまず1つ。
そして、このマトリックスという偉大な作品のようなモノを、または他の偉大な作品達のようなモノを今の世代の君達に作れるのか?もしくは、偉大な作品ができるのを楽しみにしてるよ。そんなメッセージを伝えたいのではないか。これが私の考察です。

ぜひ、劇場でご覧いただき、仲間と考察しあったり議論しあったりも含め楽しんでください。

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