見出し画像

旅に出られないときの一人遊び

私は知らない土地を一人でふらふらするのが好きだ。基本的には家でひきこもっているのが好きなのに、時々の一人旅ができないと息が詰まってしまう。

コロナウイルスの影響で旅に出られなくなって、最初のうちは「留学から帰ってきたばかりだし精神的に余裕ないしまぁいいか」という感じだったけれど、最近はどこかに行きたくてたまらない。

(こういう風に何かしたいと思えるようになったのは精神状態が良くなっている証拠なので嬉しくもある。)

とはいえ海外への渡航は当分難しいだろうし、国内でも長距離移動するのは抵抗がある。でも旅に出たい欲求は消えない。さてこんなときどうしようかと考えて、「旅欲」を満たせなくともごまかせそうな一人遊びをいくつか試した。これはその記録。(私が現時点で日本にいるので、日本に留まってる人の視点で書いてあります。)

1.地元を旅人気分で散策する。

海外旅行ができなくなってから、フィンランドに住む友人と近所の写真を送りあっては、「ヘルシンキ行ってみたいな。もみの木きれい。いい匂いしそう」とか「東京はなんでもあるし、まだ日も長そうだしいいな。またあの街を散歩したい」とかコメントし合い互いに羨ましがっていた。

そんな話の流れで彼に「隣の芝はいつも青いんだね」と言われて気がついた。私の生活圏内だって旅行者にとってはわくわくがつまった場所なのだと。そこで思いついたのがこの遊びだ。

やり方は簡単。自分の生活圏に旅行者として来たつもりで見どころを色々と調べて、状況が許せば実際に行ってみるだけである。

例えば私は "Tokyo best bookstores" (東京でおすすめの本屋)でググって洋書専門の古本屋を見つけ、도쿄 맛집(東京の美味しいお店)で韓国で有名な日本のフランチャイズレストランを知った。ちょっとした情報で自分の生活圏を海外からの旅行者目線で楽しむきっかけになる。

日本語以外の言語で検索すのが断然面白いと思う。語学が出来なくてもグーグル翻訳で調べた単語で画像検索してみると、地元民には知らない景色が拓ける。

近所について調べると実際に行ってみることができるのが魅力だけど、最近はまたコロナも再流行していて外出を控える人も多いだろう。そういう時はYoutubeで誰かの旅の記録を見るのも面白い。

2.身近な場所が舞台の海外小説を読む

これも1と同様に自分の身の回りの環境を視点を変えて見ることで旅気分を味わうという発想。私のお勧めは「パチンコ」「あるときの物語」

どちらも日本を舞台にした海外作家の作品で、物語の語り手はある土地から別の土地へと移動した人たちだ。新天地と見知った土地の両方を念頭に置いて生きる姿は旅の途中の私たちの姿に重なる部分がある。

短期間の旅だとどうしてもその土地の魅力ばかりが目につく。息抜きや観光が目的の旅行だとそれは自然なことだし、受け入れる側も素敵な部分を見せたいと思うだろう。ただ自分の慣れ親しんだ土地を旅行者の目で見ようとするとき、同じように輝くところばかりに注目するのはちょっと物足りないし、危うい気がする。結局、私は光も陰もあるこの土地の一員なのだから。

この2冊のような読書体験の良いところは、旅行では知らないままかも知れない陰の部分にもふれられているところだ。数世代に渡る物語なので、気晴らしの短期の旅行にはない「雄大な時の流れ」みたいなものも感じられる。

3.行きたい場所に思いをはせる

行きたい場所が舞台の本を読んだり、その地の料理を食べたり、物を取り寄せたりする。旅に出られない旅人の取る代替行動の定番だと思う。

よく行くミャンマーレストランのおばさん曰く、ミャンマーに旅行したいのにできない日本人のお客さんが最近多いそうだ。みんな考えることは一緒だね。

私もイギリスで観光できなかった代わりに、オンラインミュージアムショップで買い物しようと計画中。

イギリスのV&A博物館はジュエリーや衣装、家具のコレクションが充実しているだけあって、ショップには本当にかわいいものが多い。

4.一人遊びもいいけれど

自分が今できる方法で楽しむのと同時に、どうして移動の自由が制限されたり、旅行はおろか休息もまともに取れないほど医療に従事する方々が追い詰められたりしているのか考えるのも忘れたくない。今の状況を天災と捉えるのも理解できるけれど、だからと言ってしょうがないと全てを受け入れる必要はない。自然災害など他の天災のときそうするように、対策が十分だったのか検証しないといけない。対策の大きな方針を決めるのは政治だ。

まだ日常に残っている幸せを大切にするのと、どうしてこれまでの日常が奪われたのか明らかにして必要な時に声をあげることは両立できると思う。私も両方やっていきたい。

具体的には新聞やSNSに投稿したり、署名したり(オンラインでもある)。何よりもおかしいと思ったことは記憶と記録に残して、選挙に行こう

私の生活する場所が誰かにとっては素敵な旅先なのと同じように、私が楽しく旅した場所も誰かにとっては生活の一部だろう。

これまで訪れた場所、これから訪ねる場所のすべてで声をあげる自由が保証されているわけではない。私が今留まっているこの土地には声をあげる自由がある。それを大事にしたい。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?