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師走が忙しい原因は全方位への気遣い

12月も残り1週間を切った。
「師走」と書くとおり、これを読んでくれているあなたも年末ラストスパートの忙しさだろうか。

「師走」の由来の一説は「ふだんは落ち着いているお坊さん(師)ですら、お経をあげるためにあちこち走りまわる月」だからだそうだ。

わたしたちはお坊さんではないけれども、やっぱり年が変わるとなれば「今年のうちに」と駆け込みでいろいろすませたくなるものだ。
大掃除が最たる例だろう。
そうでなくてもクリスマスがあり、子どもたちは冬休みに入り、クリスマスもお歳暮も、合間を縫って忘年会も、待ったなしである。

物理的に忙しい。

でも、物理的に忙しくさせている張本人はきっと自分だ。
自分の、(ふだんはしない)全方位への気遣いだ。

誕生日プレゼントなら多少遅れたって「ごめんね」ですむけれど、お歳暮も年賀状もクリスマスも忘年会も12月(もしくはお正月)必達である。
忘年会は「新年会」として年明けに繰り越せるけれど、それでも1月に「忘年会」はしない。

年末年始は関わる人が増える。
だから「気を遣うこと」と「調整すること」も増える。
そして1年のうちのほかのイベントにくらべて、年末年始のイベントは軽んじる人が少ない。
したがって年1の「ちゃんとしなきゃ」モードが発動する。煙を上げるぐらい。

実家に顔を出すとなれば、両親と日時を決めて、人によっては手土産の手配もするだろう。
移動は?新幹線?飛行機?チケットは…?
お歳暮は誰に贈るか、なにを贈るか、年賀状は誰に何枚送るか、デザインをどうするか、子どものクリスマスプレゼントも準備しなきゃ、親戚の子どもにはいくらお年玉をあげようか…

クライアントにも年末年始のごあいさつを送っておこう。
なぜかそういうときに重なる新規のお問い合わせ(嬉しい悲鳴だが)…。

そうこうしているうちに抜き足差し足で迫りくる納期。
やばい、忘年会の出欠どうしよう。


人、人、人。
気遣い、調整、気遣い、調整…。


ふだんの人間関係が半径3m以内だとしたら、12月の神経研ぎ澄まし具合は体感数百kmといっても過言ではない。

そもそもアメリカではもうクリスマスから「ホリデイ」なのに、日本といったら28日か29日まできっちりみんな稼働するんだもの。
なんなら年末年始だって関係なくお仕事の方もいらっしゃる。
鉄道だとか飲食店だとか、デパートだとか。
まじで頭が下がる。

わたしはもう、無理だよと匙を投げたい。


年末年始に帰省しなかった昨年は、なにもかもが楽ちんだった。
「年内に終わらせたい」いくつかのことは「お正月休みのうちに終わればいいか」と、数日間の猶予ができた。
このたった数日がどれだけ精神的な余裕を生んでくれたことか。


きっちり年末年始に帰省する今年はそうもいかない。
さらに昨年とくらべてチャレンジングなお仕事をご依頼いただいていて、ただでさえいつもよりあっぷあっぷしている。

結局クリスマスの飾りも出せずじまいだったし、ケーキさえ買ってこられなかったし、大掃除も怪しい。

夫が休みの日も、わたしは納期に追われて仕事。
それどころかふだんも夕飯を食べ終えたらすぐPCに向かって仕事。
たまにオンラインで勉強会に参加し、あるいは飲み会をしているわたしを、夫はどんなふうに感じているのだろうか。

…きっと不満も山盛りだろう。
なんとなくわかってしまうから、よけいにつらい。

半径数百kmに気持ちを巡らせるかわりに、半径3mの気遣いがおろそかになっている。
そしてそれをとても申し訳なく感じる。

せめてもの罪滅ぼしにと、近所のドラッグストアでハーゲンダッツとシュークリームを買ってきた。
一緒に食べる時間はとれるだろうか。


この年末年始、わたしが向き合うべきは忙しさではなく、きっと自分が大切にしたいものだ。
今年もあと6日。ゆっくりしている時間はない。
いったん走りながら考えよう。
昨晩忙しく夜空を駆け巡ったサンタクロースのように。



今日も読んでくれてありがとうございます。
あなたが今年のうちにこれだけはやっておきたいこと、なんですか?

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