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穏便にすませたいからこそ、伝える

Xのタイムラインをみていても、ラジオを聴いていても、今週は桜の話題でいっぱいだね。

わたしも今日、ようやく桜を拝めた。
毎日散歩には出かけていたのだけれども、散歩コースに桜がないのよ。
今週は散歩コースを日々マイナーチェンジしてみたのだけれども、桜に出会えず…。
公園か学校なら咲いているのでは?とひらめいて公園方面のコースにしてみたら、ビンゴだった。

思わず写真を2, 3枚撮ったけれども、逆光なのか、そもそも曇り空だったからか、なんだか残念な記録が残ってしまったのが惜しい。

人は美しい景色をみて、おいしい食事をいただいて、好きな音楽を聴いて、心を潤す。
一方で、心をささくれ立たせる原因は8割か9割が人間関係だという。

衣食住をおびやかすような刺激なら、早めに退避するもんね、たぶん。
異臭がする、夜中でもやかましい、傾いている…そんな生活はやっぱり嫌だもん。許容できる程度は人それぞれだろうけれど。
それに、暑ければ服を脱ぐし、寒ければ服を着込む。
おなかが減ればなにか食べるし、口に入れてみて酸っぱかったら吐き出す。

∽∽∽

ところが、人間関係はそう簡単には避けられない。
「すっぺー上司だな」と思っても、すぐ会社を辞めるには至らないだろう。

家族となるともっと難しい。
「嫌だ」という感情だけで簡単に割り切れるものではない。

心を許せる友人なら、多少の嫌なところも「ホントにしょうがないねえ」と笑って受け入れられるし、お互いさまだ。
しかし世の人間関係のほとんどは、心を許せる友人手前までのグラデーションのどこかだろう。

そうした自分の心境に、外部の環境が乗っかってくるからややこしい。

フリーザ様が「絶対に許さんぞ虫けらども!」「貴様ら下等生物が!」などの暴言をやすやすと言葉にできるのは、相手が完全なる「敵」だから。
相手に嫌われようが関係ないの。だって敵だもの。
うまくやっていこうなんて微塵も思っていないのだから、ある意味楽なもんである。

でも日常生活においてそんな極端な人間関係、まあないでしょう。
職場、家庭、友だち、コミュニティ、親戚づきあい、ご近所…。
大方どんな人間関係でも穏便にすませたいと考える人のほうが多い。

嫌でも、傷ついても、腹が立っても、本当はみんなと違う考えを持っていても、「否定したり指摘したり違う考えを述べたりしたら、和を乱すのではないか。嫌われるのではないか」との想いが天秤の反対側に乗っかってくるから、伝えられない。

家庭においてだって、少なからずそういう状況はあると思う。
理由はまったくわからないがぜったいに機嫌が悪い妻。
話しかけたら気円斬のような「なに?」が返ってきそうな夫。
YESといわなければ逆ギレしてきそうな母親。
機嫌がよいのか悪いのかまったくわからないのが逆に怖い父親。

だから苦虫を噛み潰したような表情で押し黙って、時が経つのを待っている。
そんな苦虫を噛み潰したような顔のわたしをみて、また別の誰かが気を揉んでいる…。

∽∽∽

「穏便に」というのは、黙って我慢することではないんじゃないかな。
むしろ逆で、自分の考えを伝えていくこと。できれば現行犯で。

日本語には枕詞やらクッション言葉やら、語感を和らげる言いまわしがたくさんあるのだから。


わたしは思う。
いつもニコニコしていて、なんにでも「YES」を言っている八方美人は末恐ろしい。
この人、腹の底でなにを考えているのだろうな、と思う。
不気味だし、仲良くなれそうにない。
わたしにもいつもニコニコしているけれど、本当のところは嫌われているかもしれないとさえ勘ぐる。

どういうことが好きで、なにが嫌で、どんな考えを持っているのか、わかる人のほうが付き合いやすい。
自分と相容れない部分があったって当然で、それをひっくるめても「好き」が上回ればうまくやっていける。

相容れない部分がどうしても嫌なら、そっと距離を置く。
真に受けない、聞き流す。そうやって対処していける。
嫌なやつに嫌われたって別に痛くもかゆくもないし。


そりゃあどんなにクッション言葉や枕詞を駆使したって、勇気は要る。伝えたいとおりに受け取ってもらえるとは限らない。

それでも、よい人間関係は、苦虫を噛み潰すのではなく、吐き出すことでつくっていけるんじゃないかな。
ことばにしなければ、伝わらない。
もしかしたらとてもよい方向にものごとが転ぶかもしれない。

勇気を出して伝えられる人に幸あれと、心から思う。



今日も読んでくれてありがとうございます。
あなたが最近勇気を出して伝えたこと、どんなことでしたか?

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