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確変したフリーランス-上昇気流からうねりへ-

低空飛行が続いた8月。
まだまだ暑かった9月は、なんとか体調を崩すことなく過ごせた。
むしろ良い変化もみられた。

観たかった映画を観に行ったこと
行きたかったお寺に足を運んだこと
そして早起きができるようになったこと。


約束と予定には気力が必要

わたしたちはコロナ禍で数年間にわたって外出を控えてきた。
そのあいだに自分自身にも変化が起きた。
心(ときどき体も)がつかれてしまって、予定や約束を立てて出かけるのがほとほとしんどく感じるようになってしまった。

気分次第とことばにすると非常に社会性に欠けた人間のようにみえるけれども、正直いって明日の気力も予想がつかない状況が続いた。

「仕事の具合でちょっと行けるか微妙」という、もっとも好きじゃない言い訳を乱用するようになっていった。
もともとの夜型体質に拍車がかかってそもそも日中になど約束できない状況だったのだけれど、飲みのお誘いはだいたい仕事を免罪符に回答を濁した。(その節はすみませんでした)


人との約束すら設定できないのに、自分との約束なんぞ守れるはずがない
映画を観に行くと決めても「配信で観ればいいか…」と結局ずるずる家で仕事してしまう。
週末はOFFにして気になっているあのお店に行ってみようと決めても、出かけるのが億劫になって「まあ、いつでも行けるし」と結局だらだら家で仕事をしてしまう。

約束と予定を設定する気力さえ持てない数年だった。

崩れても途切れ途切れでもやめなかった4ヵ月

体と心のHPを回復していくために「いいな」と思った行動はどんどん日常に取り入れていこうと、この6月から動いてきた。

コツコツ継続が苦手なわたしだが、5つのアクションをほぼ毎日続けられている。
・起きてすぐに検温と計量
・↑のあと10分の瞑想
・↑の流れで裏もものストレッチ
・↑からのラジオ体操
・1日2Lの水分補給

さらに今は4つのアクションを試している。
・日中10分でも外を歩く
・食事を1日2食とる
・仕事を終えるときに翌日のTODOを書く
・時間の使い方を記録する

振り返って分析してみると「いつやめてもいいや」と思っているほうが、なぜか続く
だから夏バテの絶不調でほとんどできなかった8月があっても折れずにすんだのだろう。
ほぼ毎日続けられている5つのアクションに「習慣」という言葉をあてがうのは、実はちょっと抵抗がある。
「続けている」というより「やめていないだけ」という感覚に近いから。

「がんばるぞ!続けるぞ!」と不退転の決意で取り組むのは、わたしには逆効果なのかもしれない。
いちばん習慣化したいのに何度やっても失敗してきた早寝早起きのように。

謎の確変が起きた9月

毎日の良いアクションのおかげなのか、気温がすこし下がって夏バテから回復したからなのか、すこしずつ出かける気力が芽生えているのを感じた。
だから9月は映画にもお寺にも行けた。
小さいけれど大切な感覚を取り戻した気がした。

驚くべきはお寺に出かけた翌日あたりのことだ。
いつもでは考えられない時間に眠気がやってくるようになった。
入眠が早くなったぶん、早く起きられる。
あれだけ失敗を繰り返してきた早寝早起きが、急にできるようになった
(とはいっても一般的な早い時間ではない)

たしかに体と心に良さげなアクションはいくつか取り入れてきたけど、それがどう作用したのか。
考えても因果関係がまったくわからない。
ひょっとして、単に年齢のせいなのでしょうか。

千載一遇のチャンスを逃してはいけない。
だから日中の散歩を取り入れた。
ホルモンバランスのために太陽の光を浴び、歩いて体をすこしでも疲れさせる。

「明日やめてもいい」ぐらいの心持ちのほうが継続できるといったけど、これだけは別である。
このチャンスを逃したらまた夜型生活に逆戻りするかもしれない恐怖心が強い。

だって夜型は生きづらいんだもの。
午前中~昼ごろまでは予定が入れられないし。
「え?朝ご主人が出勤するとき見送らないんですか?」って聞かれるのもいい気分しないし。
スーパーだってドラッグストアだって行きたい時間には閉まっている。

世の中にはびこる「仕事できる人は朝型説」と朝活信仰はとくに居心地の悪いものでした。
多様性を受け入れようとかいうわりに、夜型の人って社会で受け入れられませんよね?朝型がそんなに偉いんかよ、あぁん?と心のなかで毒づいていたことを白状します。

だから、確変で手に入ったこの生きやすさを手放すわけにいかないのです。

確変 to the 確変

昼型生活にシフトしはじめたあたりから、人間関係や仕事もガラガラと様変わりしはじめた。
自分だけじゃなく周囲も大きな変化がはじまっていて、大きな大きなうねりのなかに入った気がする。

それは決して良いことばかりではない。
抗えないスケールのうねりのなかで北極星を探し、見つけ、見失わないように身動きをとっていく必要があるな、と感じる。

それはまた10月以降のお話である。

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