片道切符と本だけを持って旅に出たい。でも旅は面倒くさい。
糸井重里さんがほぼ日刊イトイ新聞のコラムでこんなことを書いていた。
内容はちょっとうろ覚えな部分もあるのだが、
こんな感じだったと思う。
わかるわかる。それそれ。
しかも最後のお風呂のたとえも、まさに、である。
コロナ前ぐらいまでは、わたしは旅好きな人間であった。
土日の2日間を1歩も家から出ずに過ごすなど、考えられない、もったいない。人生損してる、ぐらいに思っていた人間だ。
どうして変わってしまったのか。
わけは2つある。
ひとつは、コロナである。
行動制限がかかったし、営業をストップしたお店や施設も多かった。
「営業しているのかな」といちいちWebで調べなければならなかった。
Webで調べて行ってみてもお休みだったこともある。
実はWebの情報は古くて、最新の営業情報はTwitterやInstagramで発信しているパターンだ。
…そこまでチェックしていられない。
HPではなくSNSで発信していますというお店は案外多くて、出かける前に「調べる」というそのひと手間がひどく面倒くさかった。だからいろんな場所への足が遠のいた。
もうひとつは、仕事である。
フリーランスといっても以前は定休日のある仕事をしていたが、ライターの仕事はそうじゃない。
定休日を定休日にできるかどうかは、自分しだい。
旅行にいくとなれば、仕事を調整する必要があるかもしれない。
クライアントさんにも連絡しとかなきゃいけない。
あるいは旅行前後に無理して仕事を進めなければいけないかもしれない。
「おはよー」と現れた友人が、目の下に濃いクマをつくり、ちょっとやつれた感じだったとしたら「おいおい大丈夫かね」とツッコみたくなるだろう。
車内や列車で爆睡をかますかもしれない。
せっかくひさしぶりに会った友人との時間を寝て過ごすなんて。
いや、そもそもそんな状態で旅行が始まるなんて、しんどいじゃないか。
それでも、旅には魔力がある。
「今ここ」から遠く離れるだけで、思考も別世界へ飛ばしてくれる。
目に映るものが大げさじゃなくなんでもうつくしく見える。
風の匂いも、街の匂いも、聞いたことのない鳥の声も。
刺激と幸福感で胸がいっぱいになって、心を縛りつけていた輪ゴムがバチーンと弾けるような、あの感覚。
旅は億劫だ。面倒くさい。
でもわたしは旅に出たい。
帰りを決めずに片道切符と本だけを持って、海のそばの暖かい地へおもむいて、スマホをOFFにして、ハンモックに揺られて日がな1日読書にふけり、おいしいごはんを食べて、ときどき山や丘にハイキングするなどして過ごしたい。
あなたは次、どんな旅に出たいですか?
今日も読んでくれてありがとうございます。
旅はお風呂と同じ。名言だね。
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