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ライターとしてもっとも身につけたい力

ライターは「writer」とつづる。
直訳すると「書く人」だ。

そんな「書く人」であるライターにとって、もっとも必要な力は「読む力」だと今現在のわたしは思う。
なんなら「書く」はライターの仕事のごく一部で「読む」が大半じゃないかとさえ感じる。

どんなにわかりやすく、うつくしい文章を書けたとしても、読めていなかったらそれは「よい文章」になりえない。

ではなにを読むのか。
大まかに4つある。

  • 書籍やWebサイト

  • クライアントの頭と心

  • 読者の頭と心

  • 時代の流れ

自分でも、書いていてかなり大変なことだなと思う。
でも良い文章を書くためにはどれも必要だ。

書籍やWebサイトを読む

記事を書くにはリサーチが必須となるケースが多い。
とくにビジネス分野や専門分野だと調べども調べども理解が進まず、気づいたら30も40もタブを開いていることも。

自分が理解できていなければ書けない。
それも、わかりやすく書くなんて不可能だ。

だから書籍やWebサイトに書いてある内容をしっかりと読み解く必要がある。


書籍やWebサイトを読む理由はもうひとつ。
表現や語彙を集めるためだ。

とくに文学作品は景色や香りなど五感に訴える描写や心情の描写が巧みである。うなってしまうような比喩表現も多い。

よく数字を使いなさいというけれど、数字を使うよりも言葉で表現したほうが効果的なシーンだってある。

たとえば
「塩分濃度3%のお粥」と「小さい頃風邪を引いたとき母がつくってくれたたまご粥のようなやさしい塩味」とでは、おそらく後者のほうが伝わりやすいはずだ。

表現を学ぶには、いろんな文章にふれるしかないとわたしは思う。

クライアントの頭と心

クライアントから送られてきたメッセージを理解できなければ、よい文章は書けない。

「豆腐料理についての記事を書いてください」と言われたのに「あ、豆料理ね」と読み違えて豆料理の記事を書いたら悲惨だ。

さっきは凡ミスの極端な例だけれども、クライアントは必ずしも文章のプロではない。
だから言語化がうまくできていない可能性がある。

メッセージの行間から自分に何が求められているのか読み取れるライターが、きっとクライアントからも長く必要とされるライターなんだと思う。

どういう意図でわたしにこの資料を送ってきたのか。
この資料から何を読み取って記事を書くべきか。

クライアントから送られてくるすべてのものを、深く読み取らないといけない。

読者の頭と心

文章を読む作業は、人間の脳みそにとってとても負担がかかるらしい。
そのうえInstagramやYouTubeなど「見る」コンテンツも一般化している。

どんな読者が何を知りたくて、どんな気持ちになりたくてその文章に辿りついたのか。
読者の頭と心を読みとって文章を書かないと、きっと数行で、下手したら1行で閉じられてしまうだろう。

たとえば中学生が夏休みの宿題でリーマンショックについて作文を書くとして、調べて出てきた文章が

個別の金融機関の財務の健全性をチェックする、従来のミクロプルーデンス政策は金融システム全体の安定にとって必ずしも十分ではなく、体系化されたアプローチによるマクロプルーデンス政策が金融システムの安定にとって重要であることが認識されてきた。

金融庁|予防的な金融政策(lean-against-the-wind policy) にかかる最近の議論のサーベイ

こんなふうだったら、きっと即閉じられるはず。

難しいことばが多いし、なんだよミクロプルーデンスって。
これは金融庁が発表している論文だから、そもそも中学生を読者対象としていないことはわかる。

でも読者の頭のなかや気持ちをわかっていないと、わがままな文章を書いてしまいがちなのだ。想像力も必要である。
逆に読者のことを理解していたら、ミクロプルーデンスな文章には決してならないはず。

時代の流れを読む

ライターの仕事も、時代が移り変われば求められる業務内容も変わっていくはず。

インターネットが普及してWeb上でも文章を読めるようになったからSEO対策が必要になったわけで、インターネットがない時代にはまったく必要なかった知識である。

今でいうとChatGPTがそれなりの文章を書けるようになってきている。
でもまだ「それなり」で、不自然さやおかしい部分もある。
それは人間が直してあげるしかない。


言葉も、時代が変われば読み方や使われ方が変わっていく。
「代替」という言葉がある。
わたしは「だいたい」と読むと習った記憶がある。
「だいたい」と打って変換したら「代替」になるから、きっと間違いではないはず。

でも最近は「だいがえ」と読む人もすごく多いし、事実「代替え」と書かれているWeb記事もちらほら見かける。
もはやどっちが正しいか、両方正しいのか、あいまいである。

「やばい」も、もともとはよくない、危険、まずい(状況)のときに使われる言葉だったけれど、最近はすごくおいしい、すごく楽しいなどプラスの状況でも日常的に使われる。

言葉の流れも読んでいかないと、意図しない伝わり方をしてしまう可能性がある。

かんたんじゃない。でも一生懸命読もう。

どれもこれも一朝一夕に身につく力ではないし、日頃からずーっと意識していなければ身につかない。

わたしは昔から「空気が読めない」とよく言われてきた人間だ。
人の気持ちや全体の雰囲気をよみとるのは今でも苦手である。

それでもライターとしてなんとかここまでやってきた。
たくさん失敗して、そのたびに学習して。
その繰り返しでしかない。

明日も、一生懸命読んでいこう。


今日も読んでくれてありがとうございました。
よい文章を書くのって、大変なことです。

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