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人の言うことは「聞いて おく」

先日、新しいノートPCを買った。
今使っているPCはちょうど3年ほど前に買ったもので、まだ現役である。

PCの法定耐用年数が4年である点を考慮すれば、買い替えにしては1年早めだ。
しかし今回は買い替えではなく、2台持ちする目的での新規購入であった。

わたしの仕事にPCは不可欠。
もし不調になったり動かなくなったりした場合、仕事にならない。締切前や月末近くにトラブルが起きたら、わたしのことだからきっとテンパってしまって二次災害、三次災害につながりかねない。
保険の意味も兼ねて、2台持ちしようと思い至った。


PC新規購入に対して、あっち方面とこっち方面の反応はまっぷたつに分かれた。

家族は「え?今のPCまだ使えるのに新しいの買うの?」など「信じられない」といった様子。
たしかに安い買いものではないし、なんだかものすごくぜいたくをしている気持ちになり居心地の悪さを感じた。

ところがライター仲間に相談してみると「2台持っておくと安心」といった声が多く、なかには3台持ちの人も。これを聞いてわたしもほっとひと安心である。

うちの家族はわたし以外リモートワーカーでもクリエイティブ職でもない。職業が違えば考え方もぜんぜん違うものだと。

考え方の違いは、職業の違いからのみ生まれるわけではないだろう。
ジェネレーションギャップという言葉があるように、世代によっても考え方・価値観は異なる(傾向にある)。
あるいは性別や社会的立場、趣味嗜好など、さまざまな要素が価値観の相違を生む。


そんなことをたるーんと考えていた実家での入浴タイムだが、お風呂から上がったあとに妹からこんなことを言われてはっとした。

お風呂にひとりでゆっくりつかれるってホントに幸せだよ

子育て中の妹は子どもと一緒にお風呂に入る。
長いこと、ひとりでゆっくり入浴なんてできていないのだろう。

一方のわたしはお風呂が1日のうちもっともリラックスできる時間だ。
入浴剤を入れて20分~30分、凝った体と固まった脳みそを温かいお湯でほぐすのが至福である。

わたしにとっては日課のような入浴時間。
違う立場の人にとっては実はとてもぜいたくであると気づかされた。

ゆっくりお風呂に入れる時間はあたり前ではない、ありがたいことだと認識して、感謝することは大切だと思う。

ただ、捉え方が一歩ずれてしまうと「ぜいたくしていると言われて、なんかモヤッとする」状態に陥りかねない。
(妹はそんなつもりで言ったわけではないだろうが、あくまで例として)

隣の芝は青く見えるものだが、うちの芝もお隣さんの目には青く映っていることだってありうるのだ。
それをいちいち気にしはじめたらキリがない。

もちろん気遣いはだいじだけれども、全方面へ気を遣うなどわたしのような人間にはとても無理な話だ。


思いもよらないことに対して、思いもよらない人から、思いもよらない意見(感想)をいただく機会はきっとこれからもあるだろう。

納得できる考えや、自分のためになると思われるアドバイスは素直に聞き入れたらいい。
そうではない意見は、とりあえず聞いておいたらいい。
「ありがとうございます」と言って「聞いて(脇に)置く」
受け入れる必要はなく、いったん置いておけばいいのだ。

いつ使うかわからないけれど、とりあえず取っておく紙袋のように。
時間が経って「あのときのひと言、やっぱり必要だわ」と思ったら、押し入れから引っ張り出してくればいい。

もちろん、足を引っ張ろうと放たれた言葉や、悪意ある言葉については手元に置いておくこともせず、最初から受け取り拒否である。


わたしたちは自分に自信がないゆえに人の意見が気になってしまう。
でも「納得」は誰かが与えてくれるものではなく、自分のなかにしかない。
どこまでいっても人は人、自分は自分だ。

納得して選び取ったものが、じきに最適解となるのか、いい線行くけど惜しい結果となるのか、望む方向からちょっとズレた選択となるのか。
失敗なんてなくて、ただ「望む結果とは違う結果が出た」だけである。
(できれば傷つかない結果を希望)

自分の心の声をよく聴いて、ほかでもない自分の納得感を大切にして、日々ひとつひとつの選択・判断を重ねていくのみである。



今日も読んでくれてありがとうございます。
今日あなたが納得して選び取ったものはなんですか。

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