見出し画像

普通じゃない夏休み 第3のリベロ Vol.32

子どもの頃以来、長年ぶりに公共図書館の利用カードを取得した。タイトルも著者も忘れてしまったが、ある本で読んだ「公共施設は無料とはいえ税金で運営されているのだから利用しないともったいない」という意見だけは記憶に残り、感化されたのが動機になった。さらに決め手になったのが一昨年、居住する神戸の須磨区に名谷図書館が新設されたこと。脂肪肝対策の運動も兼ね、自宅から小一時間の道のりを歩いて通っている。

真夏のウォーキングには着替えが不可欠、トイレで汗拭いして入った図書館は夏休みの中高生たちで混み合っていた。六甲山の木材を活用した椅子が点在する館内はまだ新しくて清潔で、書架を端から端まで横断できる程良い広さが快適だ。新刊書はほとんど貸出中だが、数年前の本なら十分な数が備わっていて、私程度のライトな本好きには、書店で買うより図書館で借りて読むのが適していると実感する。この日も例によって、「読んでみたかったけど今さら買うのはためらう」本を探し、村田沙耶香の芥川賞受賞作を手に取った。

「人間はさー、仕事か、家庭か、どちらかで社会に所属するのが義務なんだよ」―ただいま、10日あまりの盛夏休暇を頂戴している。Yogiboが最新版だとしたら、これはいったい何版くらい前だろう。せっかく人並みより長い連休でも、相変わらずの定位置は自宅の古びたリクライニングチェアだ。眩い夏空を窓の外とテレビの向こうの高校野球中継に遠ざけ、借りてきた本を手にのんべんだらりと過ごす。まどろみかけたころ、台風接近の影響で早まったUターンラッシュを伝える中断のニュースが耳に入ってきた。たとえわずかな時間であっても、こぞって帰省しては早々と帰路につく。これも、社会に所属する人間の義務なのだろうか。

数日のあいだ外出しないでいるうち、5年ぶりに兵庫県へ上陸した台風は過ぎ、貴重な連休も4分の1を消費してしまった。本と甲子園を行き来した目はノロノロ台風さながらのペースで、『コンビニ人間』の最後のページに行き着いた。このたび借りてきたもう1冊は、新たに担当することになった経理の仕事に関する実用書だが、インボイス制度の予習のため読むはずのそれは机上に放置されたまま。思いきり遊ぶでも勉強に励むでもなかった子どもは、四十路に入ったいまも空虚な夏休みを過ごしている。

「普通の人間っていうのはね、普通じゃない人間を裁判するのが趣味なんですよ」―頷ける表現、身に覚えのある場面に満ちた作品だった。普通を良しとする世間は、時を経るごとにその普通の水準を上げては、クリアできない存在への圧力を強めてはいないか。かろうじて正規雇用にありつけたものの、恋愛経験のないまま中年になってしまった私など、コンビニ人間こと古倉恵子に準ずる"普通じゃない人間"だろう。連休明けにはきっと、行動制限から解き放たれた同僚たちの"成果報告"が待っている。行楽や家族サービスについて、疲労困憊を装った得意満面も、普通の人間による普通じゃない人間への裁判の一種なのかもしれない。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?