見出し画像

土地で育まれる「感性」を訪ねて。


こころの拠り所とつぎの仕事のヒントを得るために、それらを見つける旅に出る。

今回は、これまでやってきたような【町並みを眺めて暮らしを観察する旅】からすこし、旅の仕方が変わってきたように感じられる滞在だった。なるべく土地の方とお話をしながら、というのは変わらないけれど、よりその土地や文化を理解しようとしたり、わたしが次にやりたいことへのイメージをふくらませたり。

わたしが思い描く【旅】のアテンドが得意そうな方の宿をAirbnbで探して、いろんなお店や体験を紹介してもらう。宿主の所属するコミュニティに参加させてもらうような感覚。(欲を言えば、もう少し地元の方と交流できたら最高だったな)

仕事のときは、会社名や共通の知人がいれば、お互いがどういうコミュニティに所属していて、どういうことをやっている人なのかはなんとなくわかってくるけれど、これだけ物理的に距離のある場所ではそういうものは全く機能しない。それが逆に心地よくて。


「わたし」を説明するための肩書きがいらないことが、心地いい。

もちろんこれは、仕事じゃないからそうだと言えばそうなのだけれど、「どういう人なのか」「なにを大切にしているのか」ということを、目の前の会話や身振りをもとに探しあう。

沖縄という、美しい海と山に囲まれた、日本のなかでも風土のちがう開放的な場所を選んだからそう感じたのかもしれない。こころの外側にある、余分なものをどんどん手放してこれたと思う。

「わたし」が剥き出しの状態で惹かれるものを、再確認できた気がしていて。


それから、すこしの時間だったけれど、沖縄の伝統をまとったうつわや織物にも触れることができて、この土地の豊かさをより感じることができたかな。

「京都」という場所で、少しずつ陶芸や機織の現場を訪ね・触れることができるようになってから、その土地から生まれる【感性】というものがあるのではないかと思うようになって。

もちろん、歴史的にその場所で長くつくられてきたり、静かでものづくりの環境に適していたりと、いろんな関係はあるのだと思うけど、そういった作り手の【感性】が育まれる風土みたいなものがあるんじゃないかと考えてみたくて。

作家さんが話してくれる「なんとなく水が合う」ということばに、もうすこし土地との因果関係を見出してみたい。すこし強引かもしれないけれど。

たとえば、自然に近いところの作家さんからは、ゴツゴツした生き物のようなうつわが生まれるし、都市部の作家さんからは、さらっとしたシンプルなうつわが生まれる。作品を生み出す手が、どんな背景をたどってきたかで、同じ素材から生まれるものが全然ちがう。

今回は、沖縄ならではの色づかいや、海を再現した作品に惹かれて、ついつい連れて帰ってきてしまいました。その土地にいたという記録をもち帰りたくて。



今回のことで気づいたのは、わたしにとって、日々積み重ねてきたものを検証するのが【旅】なのかもしれない、ということ。

地元に、きちんとじぶんの港をもっているから、こうして旅を続けることができるのだと思う。

思いっきりエナジーチャージしてきたので、明日から仕事がんばろう。

この記事が参加している募集

いただいたサポートは、より良い文章をかけるように有料noteや本の購入にあてさせていただきたいと思います◎