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泥と雲と社会と私。

今日は世界自閉症啓発デーということで、ちょっと自閉症っぽいエピソードとか自分語りとか書こうと思います。推敲しないので、すごく長くなる予定です。

私は小学校5年生の頃、「教えられないルールがあってそれは皆成長すれば勝手に理解し使えるようになること」「皆人の目を意識していること」「状況や相手によって振る舞いを変えること」「何か自分には分からない感覚があって、多くの人にとってはそれが『当たり前に存在するもの』であること」「それらによって社会はまわっているらしいこと」などを、わーっと理解した瞬間があります。

小学校も高学年になると、「私はどうやら多くの人と気持ちの動き方が違うようだ、人の気持ちがあまり分からないようだ。」ということは理解できていました。実際に起きた出来事から簡単に分かることだからです。

もっと幼い頃から不思議に思っていました。なぜ、皆、人の気持ちが『当然』分かるのか。それに確信を持てるのか。なぜ、語られていない、見てもいない聞いてもいない事柄が本当なのかどうか『当然』分かるのか。

テレビを見ていると、なぜ人がそこで笑うのか、怒るのか、泣くのか、不思議に思いました。母に「なんで今こう言ったの?」「何で今この人はこうしたの?」と聞きまくり、よく「テレビが聞こえないから少し静かにしていて。見てると分かるから。」と窘められていました。

一番最初に多くの他者に触れて「人の気持ちや考えがよく分からないな」と思ったのは、保育園の頃でした。多くの子供が、親と離れるのが辛いと泣くのです。「ほぼ確実に迎えに来るのだから、何を泣くことがあるのだろう?」と思っていました。

それでいて、多くの子供は、私にとっては怖かったり不安だったりすることが全然平気なようでした。泥の感触、反響して混ざる子供達の声、机や椅子の音、突然変わる予定、理由の分からない指示。

劇の発表会が終わった次の週だったか、お遊戯の時間に「じゃぁ、今から発表会のこのシーンをやってみましょう。」と先生が言い皆が喜んでいる中、私は一人恐怖で泣きました。「何で?発表会はもう終わったのに。劇は発表会が終わったらもうやることはないって聞いていたのに。」と言う私を、先生は「忘れちゃってても大丈夫だから」と言いながら慰め励ましてくれました。

そうじゃない、何で今もう一度やるの?もうあそこで終わりと聞いていたのに、なぜ突然?と言う私は、ただ失敗を怖がってゴネている子供ということになりました。

そんな調子でしたが、昭和の田舎町の保育園は基本的にゆるく、協調性がなくともパニックになりやすくとも、別段大きく困ることはなく毎日元気に登園していました。大きなイベントは少なく、幼稚園のような教育時間もなく、基本的に一日中好きに遊んでいる感じのところでした。

上の写真は、園庭で縄跳びを使って動物の顔を作っている私です。私はこの写真を数年前まで「自由時間に遊んでいる写真」なのだと思っていたのですが、実際には「運動会で縄跳びを披露する時の写真」なのだそうです。

周囲の子が縄跳びをしている間、私はずっとこの調子で声をかけても聞こえていないような様子で図形作りに没頭しており、仕方がないのでその様子を撮ったのだと母は言いました。

そういう子供でした。私自身は、毎日同じことの繰り返しで退屈だと思っていました。昼寝の時間も全く眠くないのでひどく退屈でした。それでも、春には柳が柔らかく揺れ、桜・ツツジ・藤が順に咲き、夏が来ると砂や水がキラキラ光ってきれいで、秋には木の実が落ちるし、落ち葉で焼き芋もできるし、冬には葉を落とした木の枝を観察したりして、給食の時はストーブの上でパンを炙って食べると美味しくて。それなりに楽しく過ごした記憶もたくさんあります。

人の気持ちや都合を考えることが大事だと頻繁に言われ、理由は納得できるものだったので、そうしようと思いました。人の気持ちは分からないので、「どうして泣いてるの?」「どうして怒ってるの?」「何で嫌なの?」と聞きまくり、鬱陶しがられることもありましたが、そういうことが平気な子と友達になり、お互いの家も行き来して遊びました。

上の画像は、小学1年生1学期の通知表です。小学校の通知表には、どの学年でも大体同じような記述が残っています。

「理解力は高いが作業が遅いので授業中に遅れが目立つ」「集団行動に遅れがちなので周りを見て動くように」「何をしたらよいのか分からずウロウロしてしまう」「1人だけ違ったことをしてしまうことがよくある」「みんなと合わせて活動しようとする努力はしている」「聞き逃しをして学習のスタートが遅れることがあるので、指示する人の顔をよく見るように」「素直で真面目な子」「細かいところにこだわりやすい」「マイペースで周りをあまり気にしない」「やさしく思いやりがある」「係をしっかり務める」

というところです。2年生の途中から忘れ物も増えていったようです。学習用具が把握管理できる量を超えてきたのかもしれません。


5年生の1学期か2学期のある日、私は校庭の掃除を終えて暇でした。掃除時間はまだ残っていましたが、周囲の児童も大半が遊んでいるような状態でした。

念のため、竹箒を持って掃き残しがないか確認していると、運動場の端に水たまりを見つけました。泥が沈んで澄んでいます。竹箒で軽く底を撫ぜると水の中でモコモコと土煙(?)が立ち、私はそれを見て「何てすてきなんだろう。これは良いものを見つけたぞ。」という気分になりました。

土煙をあげる。落ち着く。また土煙、落ち着く。それを何度も繰り返して楽しみました。泥がもこもこと広がっていく様は雲海を眺めているようで、そこに手をかざすと影がゆらゆらと動きました。

その時、私を見つけた友達が近くにやってきて、「さっちゃん何見てるの?わ、泥、変な生き物みたいで気持ち悪ー!」と言いました。

多分彼女は、私がそれを「きれい」だと思って楽しんでいることを知らず、自分と同じ感想を持っていると思っていたので「ねー、気持ち悪いね!」と2人で盛り上がる予定でそう言ったのです。そのことが、普段の彼女の言動から予想できました。(人が良いと思っているものを悪く言わないよう気をつけている子でした。)

その時私は、この記事の冒頭に書いた「人は状況や相手によって振る舞いを変えること」を初めて理解しました。それは、今まで溜まっていたデータが一気に結びついて1つの仮説を生み出した瞬間でした。


「教えられないルールがあってそれは皆成長すれば勝手に理解し使えるようになること」「皆人の目を意識していること」「状況や相手によって振る舞いを変えること」「何か自分には分からない感覚があって、多くの人にとってはそれが『当たり前に存在するもの』であること」「それらによって社会はまわっているらしいこと」


あぁ、だから、あの時あの子はこう言ったのか。だから、あの人はあの時知っている筈のことを「知らないよ?」と言ったのか。だから、あれで喜んだのか。だから、悲しんだのか。だから、怒ったのか。だから、皆動けたのか。だから、私は分からなかったのか。

今まで蓄積していた「何でだろ?分からないな。後で分かるかもしれないから覚えておこう。」と思っていた様々なエピソードに対して、この理解が合っているのならば辻褄が合うという衝撃が走りました。


そうして、私は「これは大変なことになったぞ」と思い、愕然としました。

例えるならば、『皆は温度感覚というものを持っていて、それを使って状況判断や体調の管理をしているんだ。私には温度感覚がないんだ。』と理解した感じでしょうか。

その例えで言うのなら、多分それまでの私の状況は以下のような感じになります。

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温度感覚がある皆は、暑ければ服を脱ぎ寒ければ着る。寒気や火照りで体調不良を感じる。熱したヤカンを触ると熱くて手を引っ込める。それは、当然のこととされている。

私が暑いのに上着を脱がずに倒れれば、「どうして脱がなかったの?」となる。寒すぎて低体温症になると「どうしてずっと寒いところにいたの?」と言われる。「もう高学年なんだからそれくらい自分で判断しなさい」と叱られるので、私は『このくらいの気温でこのくらい陰っている日には、長く外で遊んでいてはいけないということなのかな?』と理解する。

それで次からは気をつけるようになるが、時々判断を誤って倒れることもある。すると、「遊びに夢中になっていたんでしょう!」とまた叱られるので、「そうなのか。私は遊びに夢中になっていたのか。今後は注意しよう。」と的外れな努力をする。

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温度感覚に寄せて言うのであれば、定型発達と呼ばれる多くの人には「空気感覚」「意図感覚」「会話の流れ感覚」「他者視点感覚」などがあるように思います。他者の心を推測ではなく感覚で理解する能力が自然に備わるようです。心の理論というものでしょうか。

「皆は『心の理論の感覚』を持っているんだ」と私が気づいたのは、私にもその感覚が生まれたからではありません。今まで経験してきたエピソード達から推理しただけです。

・皆は、人の目というものが「分かる」らしい。それはわざわざ想像しようとしてしているわけではないらしい。

・皆は、人の心というものを「感じる」らしい。それは自然に獲得されていくものらしい。不得手であったとしても、それは「分かろうとしないから」なので、性格や姿勢の問題として処理されていくらしい。

・私が分からない感覚は「分かって当然」のものであり、「自然とそうなる」ものであり、教えられる機会はなく教本もなく、「分からないということは有り得ない」とされているらしい。


衝撃の大きな体験をした割には、それまでの私とそれからの私に大きな変化はなかったと思います。今まで通り、自分にはよく分からない人の気持ちを分かるように努め、求められていることを自分なりの感覚で獲得していくしかないと考えたからです。

それでも、「皆には私の分からない感覚があって世の中はそれでまわっているらしい」という意識が生まれたあの瞬間は、私の人生のターニングポイントだったと思います。

それだけの、泥と雲と社会と私の話でした。

コーヒーを飲みに行ったり本や苗を買ったりすると思います。