見出し画像

「Every Day」をいまさら観た。

三井は、事故で昏睡状態であるはずの恋人・咲が目の前に現れるという妄想を抱く。「1週間だけ一緒にいられる」という制限の中で、三井は咲が作る弁当を持って会社に通うという日常を続ける。妄想であるので咲が三井が眠っている間に現れることはなく、咲の内面が描かれることもない。三井から見える咲という視点が貫かれている。

他人との親密さを維持するために、人はさまざまな装置を現実化させようとする。三井はせっかくの1週間のうち、1日だけ取ったズル休みにふたりでキャッチボールをしても身が入らない。清潔な対面式キッチンを備えた住居で、咲の作った料理を食べるというのが三井の舞台装置の核心であったのだ。

女がエプロンをして台所に立ち、男が弁当を持って仕事に出るというロールモデルの是非はともかく、強固な装置には対称性が重要になる。とても似ていること(相同性)はむしろ関係を不安定化させる。また、装置はなるべくプリミティブな人間の欲求に根ざしていることが必要だ。共通の推し活、だとか中世イギリス絵画史。のような脆弱な基盤の上に愛情空間は固定化できない。この映画において性愛の描写は一切ないが、食事と惰眠の場面が繰り返し出てくるのはこのためである。

ずっと見ていたい相手がいるなら、食べること、眠ること、セックスすることについて、快適で「うまく組み合わさる」ような装置を設定することが大切である。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?