子育てをすると自分の心の弱点が見えてくる

わたしは子どもを愛するとき、時々、変な心情になる。

というのは、共感力が強すぎるのか、子どもを抱っこするとき、まさに今自分が母親に抱っこされているかのような気持ちになって満たされるのだ。
子どもがママといって泣いているとき、わたしも子どもを抱っこしないとソワソワして落ち着かない。子どもがワガママを言って甘えるとき、わたしも親の許容を試す酸っぱい気持ちになって、そのワガママを笑顔で受け入れられたら、わたしも嬉し恥ずかしいような気持ちになる。

これは、いつもというわけではなく、わたしの心が落ち着いていて、ほかに心を乱す懸念事項がないときである。産前産後のきつい時期にはこの気持ちは消えていた。

さて、そんな感じなので、息子の経験を見守るときに自分の視点が息子に入り込んでしまうようで、息子の立場だったらこんな感情だろうという考えが頭に流れ込む。

それで気づいたことは、息子が祖父母と遊んだりお世話になっているとき、なんとも言えない不快感が湧いてくるのだ。
母親の立場では、おじいちゃんおばあちゃんが可愛がってくれることは嬉しいしありがたいと思うのだが、どうも心の隅ではいやな感情がある。

どうしてだろうと、記憶を掘り起こしてみれば、単純にわたしは自分の祖父母や周りの老人が苦手だったのだ。

本心では苦手だけど、老人は敬わないといけない、彼らが言うことは絶対だ。自分に向けられる愛情が迷惑だとしても拒否してはならない。
子どもの頃は文章化できなかったけど、今思えばこのような気持ちで、嫌だなー苦手だなーと思いながらも触れ合わなければならない立場に置かれていた。精神的な労役だ。

わたしが祖父母が苦手だったものだから、息子も同様におじいちゃんおばあちゃんの愛情が嫌だけど表明できないのではないかと思ってしまうのだ。
冷静に観察していると、真実はそうでなく、息子は特にじーじが大好きなようなのだが。

自分と子どもの分離をしっかりしないと、子離れできない親になってしまう。それは避けたい。

わたしが祖父母が苦手だった理由というか、当時の記憶は別途、記しておきたい。


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