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言葉が騒がしいと思う時

 こんばんは。


 梨木香歩さんの『本当のリーダーのみつけかた』という本を読んで、「言葉」について、いろいろと考えていたことがあったので、書いてみようと思います。

 私は、「相手にどう伝えると分かりやすいのか」を意識して言葉を紡いでいます。

 特に、占星術はキーワードが多く、それを掛け合わせて、抽象的なところから、具体的な言葉へと表現を、変えていく作業をするので、言葉を自分の中から、時には誰かの言葉を借りて、考えながら表現しています。

 占星術をやる前から、『言葉』にはとても気を遣っていて、気を遣い過ぎて空回りすることも、しばしばある子供から大人時代を過ごしています。


 小さい頃は、人の顔色を気にし過ぎて、自分の意見を言えない子どもでしたし、周りの人はみんな「敵」と思っていた時期もあります。

 大人になるにつれ、信頼できる友達や知り合いができたのと、自分が傷ついた経験や相手を傷つけてしまった経験から、「後悔」することがあって、「あんなことを言って傷つけてしまって申し訳なかった」とか。

 「あんなことを言われて傷ついた」とか、心に突き刺さって取れない棘のような『言葉』を感じた日には、何がいけなかったんだろうかとか、どう言えば良かったんだろうかとか。

 答えが見つかる時もあれば、考えることを放棄することもあって、でも、放棄をしてしまうと、また、同じ人間関係での過ちを犯すことが多かったので、何度も繰り返すうちに「できるだけ優しい言葉」を使う人間でいたいと思う様になりました。


 言葉は人の心をえぐる武器になることもあるし、刃となって突き刺さることもあるし、人の気持ちを暖かくしてくれる力もあることに、自分の過ちや経験、本などを通じて散々感じてきたからです。

 私がそうやって『言葉』を意識してきたのは、人の暖かい気持ちが嬉しくもあり、幸せでもあったからです。

 悲劇に浸っていた時は、優しい言葉は私の前を素通りしていきました。

 だけど、何度も声をかけてくれる人や失敗を笑い飛ばしてくれる人の助けがあって、そっぽを向いていた自分の心が、段々と、自分の失敗を認め、そこから幸せになる力を信じることができたこと経験が、今でも自分の中に根付いています。

 そんな風に、人に助けられて、時には励まされて生きてきたからこそ、空虚な言葉は騒がしく感じます。

 本当に相手と真摯に向き合って、本当に相手のことを想って発してくれている『言葉』には暖かみがありますし、決して、あなたのことを諦めない包容力を感じます。

 だけど、例えば、全くすごくもないことを「すごい!」と表記しているものや、表面的につくろえばいいと思って書かれている「言葉」には辟易してしまいます。

 最初のとっかかりとしては「アリ」だと思いますが、その先に続くものが空っぽだと、言葉だけが裸踊りをしているような寒々しさを感じます。

 ネットを通じて、表面的な言葉をよく見ますし、売るために過激な表現をするのも、ビジネス的には「アリ」でも、そういう言葉ばかりを見ていると、何となく虚しい気持ちになることがあります。

 そこに「心」を感じないからかもしれません。

 手法としては「アリ」だと私も思っています。だけど、何でもかんでも誇張して表現するのは、好きではありません。


 また、そういった誇張された表現を目にするのも疲れます。

 ネットの世界で仕事をしていると、「言葉が騒がしい」と思うことが結構あって、最近は、起業や副業のブームが来ていて「言葉が騒がしくてしんどい」と思うことが増えました。

 「曝け出す」投稿も、よく目にしますが、それも私は「言葉が騒がしい」と思うことがあります。

 でも、同じ「曝け出す」でも、騒がしいと感じないものもあります。それは、見る人への「配慮」の気持ちがこもっている投稿です。

 あまりにも謙虚なものも、見ていて苦しくなることがあります。

 そもそも、人の中の苦しみや痛みは、当事者にしか分からないところがあるので、それをむやみやたらに垂れ流すことに、何の意味があるのだろうと私は思ってしまうタイプの人間です。

 悲しみや痛みを聞いてもらえる相手がいることは、幸せなことだと思います。それが、同じような悲しみや痛みを持っている人の心を癒す効果がある事も知っています。

 ですが、やはり相手への「配慮」を感じない「言葉」の羅列は騒がしいと感じてしまいます。

 自分の悲しみや痛みは、話せる相手だけに話せばいいと思います。一緒に悲しんでくれる人は、必ずいるので、そういう相手と出会うことの方が、どんなにか救われるだろうと、私は考えます。


 以前、「風の時代は言葉の時代かもしれない」という記事を投稿しました。風の時代の「風」に言葉が乗ることを連想させるからです。

 風のエネルギー自体も、よく話しますし、おしゃべりは大好きです。

 だからこそ、そこに乗せる「言葉」が空々しものではなく、温かみのあるものであってほしいと願う気持ちがあります。

 「言葉」の持つ力が分かるからこそ、優しさを、真心を、伝えられる言葉を選んで、星も読んでいきたいですし、人とも付き合っていたいものです。

 それが、話し言葉でも、意識してできれば、私の中では上出来です。書くことは、考えながらできる作業なので、「言葉」に気を遣うことができますが、リアルな会話では、テンポを優先してしまって、つい思ってもないことを言ってしまうこともあります。

 それがいい時もあれば、もっと上手く伝えられたのではと後悔することもあります。

 そんな風に自問自答しながら、私自身も「言葉」に気をつけながら、私の想いを綴っていきたいと、梨木さんの本を読んで感じました。


 真夜中の独り言です。


 最後まで、お読みいただきありがとうございます。


 福本泰子

 

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