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急に芽生えた花への愛着、自己分析

昔母が、庭いっぱいに咲き競う花達や、ぷくっとはち切れんばかりにふくらんだトマト等の実を眺めては、嬉しそうにしているのを隣でよく見ていた。

炎天下の下、わざわざ帽子に手袋を身につけて挑む修行中としか思えないその姿は、植物に全く興味のなかった私に

何がそんなに楽しいんやろ?わからへん。

と思わせた。

さすがに、桜の満開期の見事さくらいには感動できる感性はわずかにあったのだが、それも3秒後には消滅。

そんな私が、信じられない変化を遂げた。この春に、きっと何かが変わった。

目に入る花がいちいち、この上なく可愛い。

一体私に何が起こったのだろう。こないだなんて、ホームセンターで苗を三つ買って植えてみてしまったのだ。以前は暇があれば一貫性のないネットサーフィンをぼけーっとしていたが、今は皆無。見るものほぼお花の育て方、お花好きの方のブログ。アルバムの写真はお花で埋め尽くされた。

ふと思い出したことがあった。

母に、なんでそんなに楽しいの?と聞いたら、

子育てを経験したからかなぁ?芽が生えて、大きく育っていくのが、子育てと同じやわ。

と言っていたなぁ、と。

私は今、8歳と13歳の娘がいる。

長女を産んでからも、フルタイムの仕事を髪を振り乱して継続し、次女が0歳の時、旦那が5年間の単身赴任を言い渡され、(執行猶予なしの実刑)
何の罪かと真剣に思い悩みながら、償い終えた日にぁ、人生3番目の喜びを感じたくらいに、大変な毎日を、経験した。

子育てのしんどさは、介護のしんどさと違い緩和されていくとはよく言う。

長女が中学生になり、送迎が不要になったり、下の子の歯磨きを代わってくれたり、食事の準備中、野菜のカットを手伝ってくれるようになった。

私の生活は随分と楽になり、読書を楽しんだりする余裕が増える中、思ったのだ。

あ、わたし子育ての一つの山場を登りきったよな、と。畏れ多くも、子育ての醍醐味を経験したのと、生活の余裕が、色んな感性の表出を助けてくれたのではないかと、思ったのだ。

(子育てしたから偉い、してないと感性は育たない、とかではない。)

子供達が、以前はできなかった何かをやり遂げるたびに、逐一

こないだまで赤ちゃんやったのになぁ。偉いなぁ。

と、デレデレする、という流れを無数に繰り返すうちに、育ててきたと言う証拠、みたいなものが経験値として積み重なって、ゴールに到達したような感じ。

そしてそれは、お花が成長して咲き誇る姿と、気付けば大きくなった子ども達の姿をリンクさせるようになった、という自己分析に至った。

今、幸せだと思う。

子ども達は、赤ちゃん期の、ぷくぷくと可愛い過ぎてもげそうになる時期は過ぎてしまった。でも、今では読書やお花が、有り余った行き場のない母性や感性を受け入れてくれている。

あの時の母の発言の本当の意味を、ようやく実感できる自分になれた気がする。

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