大切な人を大切に。でもちゃんと自分も同じくらい大切に

今年の3月に
実父に手術できない部位のがんが見つかり、
(上咽頭がん)
正直、周りがもっと助言していれば、
もっと早く見つけられたかもしれない…
そう、悔いが残る状況での
早期では無いタイミングでの
発見で、転移もありました。

そして、
2ヶ月の抗がん剤、放射線治療での
入院を終えた父に
2ヶ月半ぶりにこのお休み中に会いました。
(入院中は面会は一切禁止でした)

こちらは春の写真

もともとそんなに太っていたわけではない父が
20キロ痩せて、
抗がん剤、放射線治療の影響で
味覚の中でも「甘味」を感じない症状が
治る気配がなく、
何を食べても美味しくないことで
いまだに胃瘻(お腹に穴をあけて栄養剤を入れる方法)での栄養補給がメイン。
でもそれだけでは栄養が足りずに
入院寸前の数値で
必死に食べたくないご飯を
なんとか食べてる状態でした🥲


そして、もう一つの後遺症である
耳も聞こえづらくなっていて
会話をするのもスムーズには進まない状態。

そして、いまだに治療は続いている…
そんななかで
実は母もアルツハイマー型認知症で
1人では何もできない状態ですが、
入院中だけの限定で施設にいたので
退院後自分のこともまだ体力が追いついてないなか自宅に帰ってきた母の
介護が始まってしまっています。


この休み期間で一緒に過ごすなかで
父はまだ自分もまだしんどいなかで
余裕がないことで
母のできないこと、うまくいかないことでの
イライラを声を荒げて
ぶつける様子を目の当たりにしました。

その光景は誰も悪くないのに全員が辛い状況に
本当に心が痛くてやるせない気持ちでした。


私は父の身体を優先にしてほしいので
母をどこかにちゃんと預けることを
何度も提案していますが、
父の選択肢にはそれはないようです。

きっと父にとっては
母をどこかに入れること=楽になること
ではないんだと思います。

幸せって誰かが、はかれるものでも
誰かが、決められるものでも
誰かの価値観で見えるものでもないなと
つくづく感じました。

そして私も
昔は
自分の大切な人が大変な時は
その、大切な誰かにとっての
気持ちや状況を楽にすることだけを
優先して考える自分でした。

その結果、
「自分」はいつも
何かの「犠牲」になって
大切な人の笑顔を
作った笑顔で迎えることばかり。

考えたり、悩んだりする
選択肢に
「自分の幸せ」はありませんでした。

今はそれは違うと思っていて
同時に強く思っているのが、
大切な人を大切にするのと
同じぐらい
自分を大切にすること。

自分を幸せにしないと
誰かを幸せにも出来ないと
気付いたからです。

昔の私なら
今のこの父母の状況、
自分の家族に皺寄せが来て
自分の幸せが大きく減っても
自分を犠牲にすることを選んで
動いていたと思います。

今の私に
その選択肢はありません。

でも全力で自分にできることを
自分が幸せな範囲で
少し無理をしてでも
やっていこうと思っています☺️

そして、父にも
「母のことを1番に思う気持ちは
とても大切なことだけど、
ちゃんと自分の身体と自分の幸せを
同じぐらい大切にする選択をしてほしい」
と伝えています。

父にとって、
今の選択が
「〜しなければならない」なのか
「〜したい」なのか、
自分の気持ちと身体を大切にする選択を
取れるようにすることも
私が「できること」だと思っています。


私にとっては
プライベートもお仕事も
全てにおいて
この、
「大切な人と自分を幸せに」
の選択で日々決断しています✨

だからこそ、
何も諦めなくて良い
「ベビーマッサージ講師」
というお仕事をしながら
プライベートを大切にしています☺️

日本人はついつい
「自己犠牲」=「美徳」
と、根付くものがあるので
意識して変えていきましょう✨✨


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