見出し画像

5. お洒落なおばあさんのマスク


 まるで桜が咲きそうな陽気の日のことだ。
 午後2時からの取材にむかう電車の中で、とてもかわいい女の人に出会った。大阪の御堂筋線は梅田から中津を過ぎると、地上に顔を出す。のんびりとしたオフィス街と住宅地が交錯しはじめる。

 わたしの隣に座っていたその人は、オレンジ茶色のかつらをかぶっていた。襟首に向かってまるみをおびたヘアのライン。からし色のブラウスに、くるぶしまで落ちた黒のAラインのフレアースカートをはいて、黒い靴には細いベルトがしまったヒールのない靴をはいていた。草の刺繍をしたベージュのソックスも美しかった。
 女の人はきれいなおしろいをつけて、朱色の口紅(深紅ではない)をしていたが、その人はたぶん、80歳を過ぎているおばあさんだ。上品でこぢんまりとし、なんてかわい。胸がせつなくなるほどの距離感。おばあさんの、おばあさんだけの空気を隣に感じ、わたしはちょっと緊張していた。

 というのは。その人は。さっきから何回も、自分の鼻から口もとをしきりに、上げたり下げたりして手でさわっていらっしゃる。マスクを気にされているのだ。薄オレンジのフェルトでつくられた手作りのマスクには、くるっとカーブするツタに小花が美しく咲いていた。マスクの下に、おそらく中国製の不織布マスクをいれておられるのだろう。下から、白い紙のマスクがはみ出していないのか、気にされているのだった。センスのよいお洒落に加え、その少女のようなしぐさが、かわいらしくて、わたしは目が釘づけ(横目)になっていたのだ。

「かわいいですね、そのマスク」そう声をかけてみたいと思うのにタイミングを探しているうちに、二駅、過ぎる。

「新大阪」へ着くと、紺色のビニール製のショッピングカートをひいて、急いで降りて行かれた。どこへ行かれるのだろう。まさか昔好きだったおじいさんが病気で。食事をつくりに行くのではないかしら。ショッピングカートの中には、ホットケーキやじゃがいもや、冷凍モノが入っているとか……(笑)。

 わたしは、彼女が降りたあと、そんな想像をめぐらせ、お洒落なおばあさんの残していかれた気配を、しばらく味わっていた。なぜ、それほど気になったのだろう……?

 ふと。ああ一昨年、他界してしまった堺のおばを思い出していた、のかもしれないと。大正生まれ。背は低いがとてもお洒落な人だったのだ。
 小さな足のサイズ。いつもぱんぱんにむくんだ左の手、右の手にも、エメラルドやオパールや、ある時はほんの小さなダイヤモンドをしていた。「髪を何十年も自分で洗ったことはないのよ」とよく言っていた。それほど髪が長かったのだ。黒柳徹子風に、くるっとボリュームのあるタマネギヘアを美容室でしてもらいにいくのだが、晩年には、電車の中でみたおばあさんみたいなカツラをしていたな(90歳を過ぎて)、と思い出す。
  

 杖をつけば、階段なんてへっちゃら、と狭いアパートの階段を4階まで平気で上がって見せた。息苦しいだろうに、足は腫れて痛いはずなのに腰を曲げず、そっくりかえって階段を上がってみせてくれた。若い頃は田中千代さんに師事し、多くの生徒さんをもって洋裁を教えていたので、いつも身ぎれいにしていた。会えなくなって2年が経つ。気位は高い人だったが笑う時には子どものような表情をして笑った。

 お洒落なおばあさんのマスクファッションに、たいそう気をよくしたわたしは、その日4枚マスクを持っていたので、(あんな可愛い手作りマスクはなかったけれど)、ブラックの布マスクを外側につけて、内側に不織布マスクをつけてみた。
 
 わたしは、小さい子供やかわいいおばあさんをみると、とても親しみを覚える。とても深い興味を抱く。それは、理知的や合理主義とは無縁の世界にいる人たちだと勝手に思って慕っているからだ。自由で、すくすくと人生をいきている「弱い人たち」だから……だ。もっというならば、自分が立場的に強くはないということを彼ら彼女らはよく知っている。弱さを知る人の眼は、純粋になれる! 

 こどもっぽい、強情さは備えていても。その人の中に野の花をみる、そういう健気さがある、と思っている。だから、なのか。あんな個性的なおばあさんや、頑張ってみようとする子どもをみるとシンパシーを抱かずにはいられない。(胸を打たれる)。


 その日の打ち合わせは、とてもうまくいったし、取材もよい内容だった。帰りは、ひとりでグランフロントに立ち寄って、春水堂にて鉄観音のタピオカミルクティーをのみ、緑とピンクと白のだんごがはいった、台湾ぜんざいをたべて帰る。


画像1


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?