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37.京都御所から円山公園の一重白彼岸枝垂桜、祇園白川へ



 桜が咲く頃は気もそぞろである。はやく仕事よ終われ、終われと心のどこかで思いながら、近所の桜の開花が気になって仕方がない。夜、布団の中で、風がゴーゴーと音をたてて吹き始めるや、月灯り、もわっと淡色の花がいま咲かんとするところを、想像してしまうのである。奈良の信貴山へ行った翌日、いそいそと京都へ出掛けていった。

 河原町についたのは、昼過ぎていた。この日は、気温が3度。小雨が落ちて、湿度が高い。雨の中の桜も粋である。川端通り沿いの桜をみながら、京都御所へまわる。ここは、染井吉野も山桜も、種々の花がみられるのがいい。今年の桜をみながら、昨年の桜を思い出していた。(昨年のBLOGではこんな風に書いていた)



 
京都の今出川沿い。同志社大学から同志社女子大学の正門へ入るところを、森林のほうへ渡ると京都御所の敷地内だ。青松をみながら、ざくざくと砂利道を歩いて、右手が近衛家の邸宅跡。かつての庭園にあった池は今も「近衛池」として残り、邸内にあった糸桜はいまもなお、京都の春をいち早く告げ、親しまれている。いま桜の開花宣言をしたばかり、こちらなら咲いているだろうと期待してやってきた。着物の女性を何人か見かける。緑の松と桜が同じ敷地内に、同じ力で魅せてくれる。御所という場所柄もあり、「浮世絵」をみている心地になる。糸桜はピンクというよりは、花が白く、繊細にたれこめる。開きはじめたばかりの花の枝も多い。咲き誇っているというより、ぼんやり咲いている。松もぼんやりとしている。

 昨年よりなお時期が遅いが、外の空気が冷たいせいか、松の青さがいっそう鮮やか。山桜の白さが、透けるほどにも白い。近衛家の邸宅跡の糸桜は、花の精気が乏しい。寒そうに、花弁がうなだれている。薄い花びら縮れているのだと思う。ふーっと掌に息を吐くと、手が温かくなる。それだけ寒いのだ。「雪が降りそうなんだけどね」と同行した友達に言う。「うん」と応える。

 
 昨年は醍醐寺の桜を2度みた。醍醐の桜に会いたいと思いながら、あまりの寒さと雨で東山の円山公園まで行く。東山の染井吉野も満開。敷物をひいた花見客、例年の活気が戻ってきていた。あの名木、枝垂れ桜を仰いだ。「清水へ祇園をよぎる桜月夜こよひ逢ふ人みなうつくしき」与謝野晶子が唄を詠んだ桜である。

 灰色の空に、寒そうに花をきゅっと小さくしているのだろう。外気の冷たさに溶けそうだ。けれど、こういう天気のほうが桜らしい。年によっては炎天下の下で開花する桜をみるが、紫外線がきつくて花がかわいそうだ。真昼の桜は、ぼけーと開いている。精気が吸い取られている。

 ライトアップの時間まで、明治期の洋館「長楽館」でティータイムをした。ここは、タバコの事業で成功した実業家の村井吉兵衛氏が京都の別邸として建てた洋館だ。設計はアメリカ人の技師でJ.Mガーディナー氏。

 外観は、ルネッサンス様式を基調としながら、内部はロココ、ネオ・クラシック、アールヌーボーが共存している。洋館の魅力とは、ディテールのデザインに尽きる。階段のてすり、窓枠、客間の暖炉まわり、天井にあしらわれた植物文様のレリーフなど、溜息をつくほどの品のよさ。感動するのは、お手洗い。いつみても素晴らしい。水が蛇口から運ばれてくるのではなく、ステンレスの平らかな受け皿から丸いボールに落ちる。たしなみを整えるための部屋なのだ。さすが皇族をはじめ、政治家、海外の要人と、名だたる賓客が訪れた洋館である。

 ウィーンのシェーンブルン宮殿を思い出しながら、貴族の部屋で、ミルフィーユを食べた。サクッとナイフを入れると上品なカスタードがたっぷり。お茶は、キャッスルトン茶園 のセカンドフラッシュダージリンをポットサービスで。

 
 表へ出たら、空が蒼くなっていた。かがり火が焚かれていた。桜が昼間とは違ってみえる。ほんのり紅く艶色になった。一重白彼岸枝垂桜というのが、正式な品種の名らしく、昭和3年に初代から種子をとって育てた桜を昭和24年に植栽したらしい。2代目、74年めの桜であった。

 枝振りの見事なこと。樹齢を経た桜は、木肌が濃く、しなり具合が艶めかしく、ゆるると乱れて木枝をのばし。うねるように高く広がっていこうするところが好きなのかも知れない。風雪が刻まれているから。いまは樹高12. 0mまでに成長しているという。



 そのままに祇園白川と、高瀬川の桜をみて歩く。ちょうど雨上がりで、霧がたち、マイナスイオンがあたりを包む中で、ほのピンクに化粧をしたような桜を視る。写真もしっとりとして幻想的。最も、はんなりしている時刻だ。

 夜がなお深く、冴えてみえる。京都の素晴らしいところは、人と人があいまつわる姿が、印象に残るところにあるように思う。とりたて年を召した男女が、実に楽しそう。ここを、かの文人歌人や、俳優らが、一般の人もそぞろ歩いたのだと。そんな所作を描きつつ、この風景をみている。ああ、さまざまな時代に生きてきた、人の姿を、みんなこの土地は、ちゃんと記憶しているんじゃないか、そんな風に信じられるところが、京都にはある。

 人の記憶というのは、すぐ曖昧になってしまうものだけど。樹齢のいく木々や謂われのある建物をはじめとする京都の土壌は、きっと、人の生きてきた様を深い懐の中に抱いてくれているのだと感じる。今日のような小雨そぼふる夜には、特にそう信じられてしまう。数十年だって、100年だって、パラレルに進み、飛べるかもしれない。なんて、感じる。
 世界はコロナから戦争の時代に突入した。いつなにが訪れるか分からない時にあって、2022年の京都の桜を視られた幸せを忘れぬようにしたいと思うわけです。



 

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