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苦手とは宝だ。

可視化でコミュニケーションをデザインする、グラフィックレコーダーの湯朝かりんです。

最近では、苦手について考えることが多くあります。先に言っておきますが、あんまりネガティブな意味じゃなくて、どちらかというとポジティブな話。それにしても、過去を振り返ってみると、なんと苦手が多いんだろうと思って驚いています。

運動ほとんど全部、授業聞けない、イラスト描けない、焼くものはだいたい焦がす、覚えられない、話せない、…

苦手と一口に言っても、そのせいで困ることと、避けて通れてあまり困らないもの、いろいろです。中でも私が一番困ったのは、人前で話すのが苦手なこと。いや、人前じゃなくても、話すのが苦手です。自分の思っていることをきちんと伝えようとすればするほど、意味不明なことを話している自分に気づいてさらに意味不明に…のループになること。自分の気持ちを口頭で伝えることがうまくない。だから好きにもなれない。

今となっては、色々なところでお話しする機会もたくさんいただいているので、「そんなことないよー」と言われることも多い。でもスライドがないとしゃべれないし、アドリブだとあわあわするし、むしろ逆にしゃべりすぎるんです。しゃべれない、からは一歩踏み出したけど、うまくしゃべれる、なんて思える日はきっと来ないと思うくらい遠い。

ふつう苦手ってネガティブな言葉ですよね。でも他の人に「いやいや上手だよ」と言われることには違和感があって。もしかしてこの苦手という言葉は、あなたとわたしでは違う意味で使っているんじゃないか…なんて考えていたら、私は「苦手」、いや、「苦手意識」を大事にしていることが見えてきました。

苦手意識から色々なものが生まれ、それが自分を形作ってきたと思うから、苦手は宝だと思っているんです。


苦手が宝だと思う理由

1. 向き合わないからこそ、できることがあるから

まずは向き合わない話から。苦手だから潔く手放すのもいい。だからこそ他のことに向ける時間が生まれます。また、あなたが苦手なことは、他の人も苦手なわけではないので、むしろ喜んでやりたい人がいるかもしれない。その人にとって得意とか好きなら、感謝されるかもしれない。

2. これからできるようになる、伸びしろだから

苦手ってことは、これまで避けてきたってこと。もし向き合うことにしたのなら、それって伸び代でしかない!新しい自分を手に入れる鍵にもなると思うんです。絶対にやりたくないものをやる必要はないけれど、やってみたら意外とおもしろくなることもあるかもよ?

向き合わないなら「もしできるようになったら私もう一段パワーアップしちゃうじゃん、今は向き合わないけど、まだまだ私、いくらでも伸びしろあるな!」って思ってもいい。

3. 他のスキルが伸びて苦手を補っているはずだから

私の場合は、話すのと覚えるのが苦手なので、話しながら、聞きながらメモを取ります。アドリブがきかない自覚があるから、その場で考えて話すより、じっくり深める、味わうことをしています。こんな感じで、気付いたら他の能力が伸びていた。必要に駆られて、ということも多いですけれど。

運動がぜんぜんダメだったから、他の習い事をがんばりました。レシピ通りに作るのが嫌いだから、いろんなレシピで作ってみた上で「一番簡単で美味しく作れる方法」を研究していた時期があります。片付けが苦手だから…えーと、これは何が伸びてるんだろう?

4. できなかった人にしかわからない伝え方ができるから

苦手からできるようになったものって、すごく強みになるんです。もともと上手な人にはわからないことが絶対にあるから。

私でいえば、イラストは10歳ごろ「向いてない!」と強烈に思ってから、グラレコを始めるまで本気で避けて通ってきました。それでもグラレコに出会ってさらに仕事にした結果、いつの間にかイラストに向き合うことになっていました。だから教えるにあたっても、絵が苦手な人がめんどくさいところも、避けたいところも、うまくいかないところも、かなり共感できることが多いと思います。

5. 苦手だからこその、個性が残っているから

一番大事なこと。それは、苦手で避けてきたことこそ実は宝なんじゃないかと思うんです。避けてきたってことは、調べる気にもならなかったから情報も入らなかったし、手をつけてないから経験値もない。つまり予備知識や癖がない。それってとてもピュアなままで残されているってこと。

上手とか得意とか実は関係なくて、その人の、そのままが手付かずで残ってるってことだと思うんです。うん、もはやアート。感性の塊

何かを学ぶ時、守破離といってまず真似をするというやり方があります。最初は指導者に言われたことには自分の考えを差し挟まずに素直に従うほうが上手になる、という教え方をされることもあります。確かにそれはあるかもしれない。

だけど、その結果、みんな画一的に同じものになってしまうのはもったいないと思っています。せっかくのむきだしの個性があるのに、何回も同じ色で塗りかためて、指導者と似たようなものを作れるようにするってことだから。真似をするなら、完全に一致させようとするのではなくて、要素だけを真似する。さらに自分の感性も大事にする、ということが両立できるといいのかな。


苦手を分解してみる

名称未設定のアートワーク 7

「◯◯が苦手」というとき、いくつかのパターンがあるように思います。

1つ目は、「不得意である」という意味。つまりへたくそ。上手じゃない。好きか嫌いかに関係なく、うまくできない。
2つ目は、「嫌いである」という意味。つまりやりたくない。できれば避けて通りたい。上手かどうかに関係なく、感情として避けたい。
3つ目は、不得意と嫌いが混ざっているパターン。できないから嫌い、嫌いだからできない。もはやどっちが先かわからないごちゃまぜ。

私でいうと、こんな感じ。
●不得意だけど嫌いではない →人前で話す(今)、焦がさないで焼く
●嫌いだけど不得意ではない →単調な仕事、レシピ通りに料理を作る
●不得意だし嫌い →完璧に細部まで突き詰めること、興味のない授業を聞く、3年前までのイラストもここ。


価値の基準はだれがつくるの?

不得意なものは、不得意なままでもいいと思います。そんな簡単に上手になれない。でもこれは自分の意識の話なので、上で書いたように、宝になると思ってみるのは、意外とヘルシーでは☺️

ただ、うまくできない場合はもう一つ考えたいことがあります。「うまく」の基準って誰が決めてるのでしょうか。その時代が決めた価値基準なだけでは。

例えばファッションの流行のように、今ダサくても数年後には最先端かもしれない。なんならSDGsがもっと突き抜けて、襟元がダルッと伸び切った白Tを何年も着るのがトレンドになる可能性すらある(ないか)。丸文字→ヘタウマ文字→ギャル文字 のように、上手とは言えないような字が良いとされる時代もある。だから「うまい」「よい」の基準なんて、あまり気にしなくて良いような気がします。

嫌いなものも、無理に好きにならなくていい。ただ、こちらは思い込みの可能性もあって、踏み入れてみたら面白い世界かもしれない。むしろ嫌いだからこそやってみると、意外と好きかも?と思った時に感情の振れ幅が大きくて面白いかな?と思います。

うーん、例えば?自分が嫌いな世界に踏み入れるとしたら…昆虫食とかかな(もう書いてるだけで絶対無理です💦が、数年後は違うかも?)

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