自分を変化させてよかったこと、悔しいこと。
3月、マスクを外してもよくなったニッポン。でも外している人はそんなにたくさんいないな。そんなことを思いながら、これを書くために去年の記事を見直そうと思ったら、なんとこの1年間に定点観測ともう1本しかnoteを書いていなかったことに気づいた。
自分の変化は個人的にノートにたくさん書いてるのに、外に出せる形にしていなかったんだ。そう、そのくらい、この1年はいろんなことがあった。
去年4月のnoteの最後がこう締めくくられている。
この1年、それをずっとやっていたんだな。
(宣言を守ったみたいで、ちょっとうれしい)
そして、だいぶ私に戻ってこれた感覚がある。
私は、勇気がいるようなことに比較的飛び込めるほうかもしれない。
誰かに好きと伝えること。
次が何も決まっていないのに、会社をやめたこと。
気合で?ある病気を治したこと。
だから、この1年も自分を変化させたいと思ってワクワクして動いていた。去年のnoteで書いた「子供を置いて一人旅をする」ことは、たいして大きなことではないかもしれない。でも、あのときの私にとってはものすごく大きな一歩目で、あれをきっかけにいろいろなことに飛び込めるようになった。
それから、いろいろなものを手放したり新たにやってみたり、嬉々として自分を変化させてきた。暗闇もあったし、叫びたくなるようなこともあったし、この歳で意味不明にグレてしまったりと、けっこう大変だった。
まあ、変化するんだから、そういうことはつきものだよなぁ。それでこそ、変化であり進化。そうやって変化させ続けていく自分が誇らしかったし、ライフシフトやトランジションを駆け抜けるというのは、痛みは伴うけれどある種の爽快感があった。
でも。
私の身体は悲鳴をあげた。それも、1回ではなくてなんども。ちなみに私は体は強くはないけど、あんまり大きな体調不良とかはないほうなので、今年の身体の変化は驚くばかりだった。これまでに経験したことのない変化の種類と速度に耐えきれなかったんだろう。自分に還るなんて今まで一度も意識したことがなかったんだから、身体がびっくりして当たり前だなと解釈している。
自分に還ることが多少なりともできたのはものすごくよかったと思うし、1年前と比較してもかなり幸福度が上がった。たくさんの人に、ふだんの顔つきや表情が全然変わったと言われる。
だけど、変化には適切な速度があるってことを、身を持って学んだ1年でもあった。体験しないとわからないのは悔しいけど、これまでの私はそういうやり方しかできなかったと思うから、それも納得している。けど、もうこれは卒業したい。いや、する、と心に決めた。
正直、適切なはやさはまだよくわからない。でも確実に言えるのは、今はかなりゆっくりと進める時期だということ。道草して偶然に出会うものたちを愛でる余白をもっていく。そういう日々をすごしていこうと思います。
2023.4.8
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